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題4話(その3)
なぜそんなことを思ったのか、とても不思議な気がした私だが、とにかく尋常な思いでは応対出来なかった。なにしろその体躯といい、甲冑のような軍服といい、かつて接したことのない相手なのだ。
「私は神戸に住んでおります」
「コウベ……。君はどこの大学だ?」
と、見た目とは程遠い丁寧な物言いの将軍だが、彼の言葉の切れから察するに、私も無駄なことは言うまいと決めた。
背後に立つ補佐官が聞いている以上、彼の立場もあろう。ただ彼がなぜ私に将軍を紹介しようとしたのか、そのときの私には計りきれなかった。
「私は、長崎の私立大学で、造船工学を勉強しました」
「私の息子は、東京のリッシカンで柔道をやっている――」
恐ろしく強面の将軍だが、家族の話になると急に表情を和らげて、口元に微笑みさえ浮かべた。
私は(立志館)の文字を頭に浮かべながら、さもありなんと思った。同時にこの将軍が、このカンボジアという国でどんな人生を歩んできたのかと、私は頭を巡らした。
トォアの言う、たった十ドルや二十ドルで人が人を殺す国である。そんな国情で、どれほど高価なものか知らないが、数えきれないほどの戦車をウクライナから輸入して、なにをしようとしているのか。
思わぬ将軍の笑みに接して、私はどうしようもなく混乱していた。
(将軍の微笑みと、町で見た物売りの子の笑みと、なにが違う?)
そんな疑問を抱いた私だが、なんとか営業トークを続けた。
「そうですか、将軍の息子さんなら誰にも負けないでしょう」
と、いかにも浮ついた英語に私は、我ながら良く言うと思った。
「Yes――、Exactly ――」
「私はここで閣下にお目にかかれて、誠に光栄でした」
「ああ、私も君と会えて良かった――」
と、会話はうまくつながった。
私は将軍が差しだした手を握りかえし、彼の目をしっかりと見つめた。せめて気迫だけは負けまいとして、私は背筋を伸ばして踵を合わせた。
そのとき初めて私は、将軍の瞳をまともに見たのだが、やはり第一印象は変わらなかった。
口元に笑みはあっても、やはりその目は笑っていなかった。それで面会は終わった。ただ彼の瞳は、私の網膜に焼きついたのだった。
その日プノンペンへ戻ったのは夕暮れだった。補佐官と共に店の近くの日本食レストランへ寄り、そこで私は彼に申し入れをした。
「なんとか研修生を集めて、日本へ派遣したい。その為に……」
刺し身と天婦羅と日本酒で高官を接待しながら、彼の政治力で日本の入国管理局の戸を開けはなちたいと、切に頼んだのだった。
(例え第三国とはいえ、一国の将軍を知る補佐官の力を……)
それはパンドラの箱を開けることになると、私は知っていた。
(つづく)
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