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第1話(その3)
(これはやっぱりタカリなのか……)
と思いながら、私は次々湧いてくる心情を押し殺した。帰れと言えば済むことだが、一同の目がそれを許さなかった。
私はポケットから携帯を取りだした。
「分かった。病院の電話番号を聞いて、私がかけてみるから……」
そうマリナに言うと、私は携帯を掲げて見せた。
マリナが婦人の携帯から番号を拾う間も、彼らは私の一挙手一投足を注目する。特に背の高い少年の目が鋭い。その広い額に細い目の風貌が日本人を思わせる。私は病院へ電話をしながら少年を見つめていた。
「これ、私の子供――、アキラの子供……」
その婦人の感性が私は怖かった。
人の心まで読むのかと思った。
だが自分の方が被害妄想なのかも知れない。なにしろ私はさっきまで、この店をどうやって手仕舞いするかばかり考えていたのだから。
と、呼び出し音が切れて応答した女性に、私はゆっくり言った。
「ああ……すみません、こちらは名古屋城西病院ですね?」
わざと私は相手の名乗りを鸚鵡返しにした。直接看護室へかかったようで、私は婦人の言うクボアキラという人がいるか尋ねた。
「すみません、患者さんの情報は守秘義務がありまして……」
婦長と名乗る女性はそう言った。
丁寧なのだが応対は毅然として、尋ね人がいるかどうかも明らかにしようとしない。私はカンボジアから電話していることや、自分の会社名に業種、立場も説明した。
なにしろ目の前で言葉の分からない連中が聞き耳を立てている。別に私が悪い訳ではないのに、責められているような気がする。
だが最後に婦長が妥協した。一度電話を切って上司に相談すると言う。
その上で当該者がいれば、本人に聞くということになった。
「はい、それで結構です。ただもし本人から電話を頂けるなら、この携帯へコレクトコールで良いとお伝え下さい。私はこの週末までカンボジアにいますので、その間に頂ければありがたいです」
そこまで言うと婦長の声が和らぎ、私は頭を下げながら切った。
(私にもまだ説得力が残っているのか……)
と、私は面映ゆい気持ちで携帯を折りたたんだ。
そして事の顛末を婦人にマリナを介して伝えた。病院から電話があれば、すぐ婦人に連絡すると約束した。
それでようやく店から引きあげ始めた。少年が最後に残ってなにか言いたそうだったが、細い目の瞳は動かないまま帰っていった。
一同は談判に訪れた時より多少明るくはなっていたが、その後ろ姿はどこか負け犬のような寂しさを漂わせていた。所詮私のやったことは序の口で、彼らにしてみれば空手形も同然に違いなかった。
名古屋の病院から電話が入ったのは翌日のことだった。確かに相手は久保昭と名乗った。婦人の言う、アキラに間違いなかった。
だが彼は電話口で、私が驚くようなことを切りだしたのだった。
(第2話へつづく)
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