10人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ
第3話(その2)
帰国を前にして、私はプノンペン南西のシアヌークビルへ行くことにした。
ここは前国王の名を冠していて、首都プノンペンから南西はへ約250キロの距離にある。日本のODAで開発されたハイウエーAH11の国道4号線を使っても、その道路事情から五時間は掛る。
朝六時、私は補佐官の紹介で採用したトォアの運転で、プノンペンのホテルを出発した。
彼は補佐官の古い友人の息子で、シアヌークビルの出身だった。補佐官と彼の家で夕食を頂いたことがあった。初対面のとき彼は、若さには似合わない憂いのある表情をしていた。
彼は採用後プノンペンへ移り、補佐官の邸宅近くにあるアパートへ夫婦で住んでいた。通いで邸宅の手伝いをする奥さんは色白で、華僑の出であろう。ただトォアは今も憂いを帯びた表情をしていた。
朝ホテルを出たころに夜が明け、街にはメコン川から立ち登る朝霧が靄っていた。私は助手席に座っ/て、窓から移ろう朝を見ていた。
(また俺も遠くへ来たものだ……)
二十年勤めた商社を早期退職で辞めて五年、割増の退職金の一部を使って有限会社を興したが、仕事柄あちこちを訪ねて歩いた。そんな私でも、プノンペンの街の夜明けは殊のほか郷愁を覚えていた。
そんな感傷に耽っている私に、トォアが話しかけてきた。
とかく相手の顔色や心を読むのは、決してサリーの婦人だけではなかった。
「ここが、ポルポトのミュージアムです」
と言ってトォアは、私の目を覚まそうとしたのか、左前方の建物を指し示した。
車は日産の中古でアメリカ仕様の左ハンドル、すでに25万キロは走っている。組合員の会社が扱う車を輸出してきた。ただ買手がつかないまま、現地で社用に使っていたのだった。
トォアは正面を見据えたまま、控えめに右手を上げていた。
「ボス、今度ミュージアム、見に行きますか……」
と、トォアが珍しく自分から質問をしてきた。
「うん?、いや止めとこう。俺はSight seeingじゃあないし」
「Yes……sir」
と、彼の返答がいつにも増して暗かった。
私も感受性に関しては、トォアに負けず劣らず持っていた。だが正直、私は虐殺の跡を見たくなかった。それが例えこの国の歴史だとしても、である。
初めてカンボジアを訪ねてから、もう何度も補佐官と会っていたが、彼は、幼少期にメコン川の畔でテニスをしたことや、モスクワ留学のときのことは話したが、ポルポトに触れたことはなかった。
それはカンボジアの黒歴史だからかも知れない。だが私にしてみれば、まずこの国で自分にやれることをするのが先だと思っていた。q
ただ私は、そんな自分の考えをトォアに話したことはなかった。
(つづく)
最初のコメントを投稿しよう!