第3話(その2)

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 車は郊外へ向かい早朝の光景は爽快だった。空には一点の曇りもなく、窓の外はどこか見慣れたものに変わり、そこで大勢の人が三々五々働いている。道は狭いのだが、トォアは速度を上げた。  遅い車がいれば、赤土の側道へ飛びだしては追いこす。集落に入れば道沿いにバラック建ての店が並び、その前に車が何台も停まる。  やがて目新しい工場に近づくと、人間を満載したトラックやバンが次々と到着する。その前で車から降りて工場へ通う連中相手の、いかにも稚拙な屋台がフル回転していた。 だがそこを過ぎれば折から常夏の陽の下、行く先にアスファルトの逃げ水が見え隠れする。  高速道路とは名ばかりで、赤茶けた側道との間を白線が仕切り、低木の緑に覆われた小高い丘の真ん中を、車は軽快に走っていった。  途中ハイウエーの左右には水田が広がり、酷く痩せた水牛が雄々しい角を突きあげては白い体を身震いさせる。その傍らにはまだ幼子にしか見えない子供らが、狭い畔道で飛び跳ねて遊んでいた。 「この辺は、平和だね……」  やはりプノンペンを離れて、私は身も心も解放されていた。そんな私に、相変わらず無口なトォアが前を見たまま答える。 「ええ……、でも、みんな貧しくて――」 「ああ……、でも私が子供の頃、日本も同じように貧しかった」 「Is that so……」  と、トォアは素っ気なく呟いた。 それを聞いて私は、なんの気なしに放った言葉を後悔した。考えてみれば彼はまだ二十代、私と二まわり違う。そんな彼に、的外れなことを言ったのかも知れない。  それはもう二十数年前、私が畑違いの重役と話していて感じた孤独感、いや疎外感のようなものを与えたのではないかと危惧した。  当時私は、月に百五十時間を超える残業に追われ、なにかと仕事の憂さを晴らさずにはおれず、街へ飲みに出ることが多かった。  三つ子の魂百までもではないが、大学を出て造船所に入った私は、ある意味初心だった。その造船所がつぶれて、三十歳で転職した商社は派閥争いに明け暮れ、最後は力関係ですべてが決まっていった。  かつては無から始まり、良い船を造るために酒を飲んで激論した。だが商社は、創意工夫しても利益が出なければ無に帰した。酒は憂さを晴らすために飲むものだった。 そんな私は、いつしかポルポトの悪行を見ずして、牧歌的な風景を愛でる男に成り下がっていた。  確かに車窓の風景は昔の日本に似ている。だがそれがどうした。私は自分の心の変遷に気付きながら、それでも私は黙っていた。 「ボス、なぜ日本人は一年に三万人も、Suicideするのですか?」  と、トォアが突然そう切りだした。ここは私も答えねばなるまい。 「ああ……、この前市内の学校を訪ねた時も、女の子が聞いたね」  と、構えて答えた私は、この際彼とじっくり話そうと覚悟した。 (つづく)
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