時空a

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時空a

「妄田さん、あなた音大とか、音楽の道は考えないの?」 「え!音大なんてそんな……望総大学を考えてまして。」 「そう。三年間見てきて、あなたはなかなかセンスがあると思ってたんだけどな。」  そう言って音楽の堂先生はにこっとした。 今日は、音楽の授業での高校生活最後の自由発表会だったのだ。生徒がぞろぞろと音楽室を出て行く中、先生が珍しく奏子に話しかけたのだった。奏子は「ありがとうございます」と笑顔で会釈をし、教室を出た。  奏子の高校では、選択授業として、美術、書道、音楽の中から選んで受けるシステムになっており、奏子は一年生の時から迷わず音楽を選択してきた。毎年音楽の授業でやる自由発表会は、音楽室でやるこじんまりしたもので、1人もしくは複数人で、歌、楽器演奏などジャンルやスタイルを問わず自由に発表をするというもの。奏子は一年生ではピアノの弾き語り、二年生ではグループを組んでギター、ピアニカ、タンバリンなどを演奏しながらのプチバンド、三年生ではギターの弾き語りをしてみせた。  今日の発表会後の匿名アンケートでは、奏子の発表が良かったと答えているものは二票ほどあったが、華麗なるピアノとヴァイオリンを披露した女子二人組に票が集まっていたことも知っていた。  なので尚更、今まで大した会話をしたことがなかった物静かで上品な堂先生にそんなことを言ってもらえて驚き、少し動揺していた。  音楽の道……  自分のクラスへ戻る道中、奏子は人知れずドキドキしていた。今の学力に見合った県内随一の望総大学への受験勉強をしているのも事実だ。しかし、なぜこんなに動揺しているのだろう。確かに音楽は好きだ。間違いなく好き。小さい頃からピアノも習っていたし、兄の影響で始めたギターが兄よりも上達して、勉強の合間に曲を作ったりして楽しんでいるのだ。でも音楽の道だなんて――。音楽は趣味でやるものでしょう――?今から進路変更するの――?そんなの親がどんな顔するか――。  だけどその後の授業中も帰り道も、堂先生からの言葉をずっと反芻していた――。  やがて奏子は望総大学教育学部に合格し、晴れて大学生となった。学業もそこそこ、友達もでき、家庭教師のアルバイトも始めて、そこでの評価もまぁまぁ良く、学生生活を満喫して楽しくやっていた。三年生になり教育実習も問題なく完遂し、教員試験にも合格できた。  順調に市内の小学校の教員となった奏子は、日々子ども達や保護者、校内のあれこれと奮闘していた。まぁ忙しくて精神的に辛いこともある仕事だが、子供たちがひとつずつ成長していく姿を見られること、「奏子先生だ〜いすき!」なんて言われた日には、やっぱり素敵な仕事だなぁなんて思えるのだ。  そんなこんなでやりがいも持ちながら八年、教員仲間と結婚した。翌年には第一子が生まれ、その二年後に第二子も出産した。自分の子となると児童と接する場合とは全く違うなぁなんてことを実感しながら子育てに奮闘し、やがて育休を終えて職場にも復帰した。  仕事に育児、家事、休日のお出かけなどの日常を、何とか夫や実家と協力しながらてんやわんやで過ごし、家族との幸せな毎日が嵐のごとく過ぎ去っていった。  音楽室で堂先生と話したあの日から、二十年が経っていた――。
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