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限界集落
夏季休暇、俺は数年前死んだひいおばあちゃんの家に行くことにした。
自宅がある東京から電車を乗り継いで県をまたぎ、バスに乗って山奥の集落の前で降りる。このバスは一日に多くて二本しか走らない。錆びついたバスのりばを降りて周りを見渡しても、見えるのは森とアスファルトだけだ。このまま横の坂道を登ると集落があるらしい。と言っても、ここからさらに遠くの山を登ったところにある小さな集落がひいおばあちゃんの村だ。しかし、バスが通っていないため最寄りのこの駅で降りるしかなった。懐かしさを感じるにはまだ早いが、昔この道を通ったことがある。
ひいおばあちゃんの家はかなり田舎にあって、いわゆる限界集落だ。この手前にある集落も山の深いところにあるが、まだふもとであり、曾祖母の集落はさらに山を登ったところにある。およそ中腹に位置しているであろう村は青い木々に埋もれて目で確認することもできない。
旅の理由は幼いときの思い出の場所巡りだった。俺が小さかった頃は毎年、村に訪れては遊んでいた。ばあちゃんが亡くなってからは家族で訪れることはめっきりなくなり、俺は久しぶりにここに来たくなったのだ。
降り立ったこの村は小さな集落だ。少し遠くに目をやれば、山肌が見える。山頂を意識しながら歩けば、山へ登る道を見つけることは難しくなった。木陰が濃く、昼間でも夜のような暗さだったが俺は森林に足を踏み入れた。進むにつれ道は荒れたが、確かに車のわだちが見える。自分にこの道であっていると言い聞かせながら一時間ほど進み続けると突然道が開けた。
「そうそう、ここだよ」
俺は村へ持ってきたカメラのシャッターを押した。
平地には大きくはないが5棟ほどの建物がたっており、家の前には何種類もの小さな畑とちろちろと川から引いた水が流れている。村の様子は前と全く変わらず、畑と掘っ立て小屋しかない。本当に小さな集落で、田舎特有の大きな屋敷などはないのだ。
俺は坂道を上ることにした。用水路のような川はほとんどの家の近くに流れている。歩き回れば、小さな時来た集落よりもさらに小さくなっているように感じた。目の前の畑に気を取られている道中、稲荷の像のみが置かれている。ポツンとあるそれはこの集落には似つかわしくないほど、細部にまで気を使われた彫刻だ。その石像の前には花が手向けられており、中身のないおちょこが忘れ去られていた。俺は不思議に感じながら、またシャッターを押した。
小川の道なりには、段々畑が広がっている。点々とした民家を縫って歩きながら俺は人を探した。蒸し暑いながらも、冷たい風が頬をきる。しかし、まだ誰にも会っていない。俺は不安になって、車が止めてある家を探した。
歩き続けると、軒先に土埃のついた軽トラックが見えた。覗くと奥には小ぶりな日本家屋がたっている。しかし立派だ。
「ごめんくださーい。誰かいますか?」
俺は何度か声を張り上げた。人が住んでいる気配はする。しばらくすると、庭の奥からおばあちゃんが現れた。どうやら家の裏にいたらしい。
「はいはい。こんにちは」
つばの広い帽子とエプロンを着た彼女は、俺を見て不思議そうな顔をした、
「おたくは何処の子かねぇ?」
「こんにちは。ここに住んでるものではないんですが、ひいばあちゃんが住んでたんで遊びに来たんです。どうぞよろしくお願いします」
「遊びに来たぁ?なんも遊ぶところはないよ。人はいねぇし」
彼女はいぶかしむように俺をのぞいた。確かにわざわざ遊びに来るところではないのだ。
「あの……、もっと高い所、奥の山頂までの道のそばにある神田という性だと思うんですが」
神田という名前を出した途端、そのおばあちゃんの顔はころりと変わった。後に言葉をつなげなくても、彼女が理解したのが分かった。
「あぁ、あそこの! 確かに、子供が遊びに来てたわ」
破顔したおばあちゃんは縁側で靴を脱いで、ひょいひょいと台所へ向かったようだ。俺は軒先で立ちんぼをして、彼女が戻ってくるのを待った。程なくして、麦茶をついできてくれたおばあちゃんは俺を縁側に座らせた。
「昔は小さいのが毎年来てたねぇ。下の集落からも若い者が来て、山で働いてくれた」
「そうですか」
「それが今はこんなんで。この家と川の奥の家……、たったの二軒しか残ってない」
「皆都会まで働きに行ったんですか?」
「そうじゃな。あとはまだ下のほうが住みやすいから、下の集落で暮らすんよ。もともとこの集落は、峰の神様の世話をするためにあったが、誰も行けんくなってしまったからね。ここにいても、やることはないよ」
「峰の神様?」
おばあちゃんは、ああと喉を鳴らすと麦茶を一口した。
「山頂近くに稲荷神社がある。ここらの人は皆氏子だったんだがね、ずーとっ山を登っていかないといけない。若い人はいないからねぇ。……管理する人がいなくなってしまったんだよ」
「あぁ、だからあそこに狐の石像がたっていたんですね」
「ううむ……まあ、そうじゃな。もう山を降りたほうが良い。遠くから大変だったね」
何か言いたくないことがあるのか、彼女はそれきり黙ってしまった。座りながら俺たちは山頂に続く道を眺めた。神様は人の住む場所より高いところに住む。それが転じて、このようなことになってしまうのは悲しい事だ。しかし険しいその山に登れなくなるというのもうなずける話だった。
「もう少しだけ山を登ってから、帰ることにします。まだ日も高いので」
そう言うと、おばあちゃんは渋い顔をして黙ったままだ。彼女はううとかああとか言うと、家の中へ戻り箪笥から大きい鈴を持ってきた。
「熊には気を付けるんだよ」
俺はお礼をして、高いほうへ山道を歩いていった。
道中ひいおばあちゃんの家によると、庭の木々が好きに伸びていて花が枯れてしまっているのが見える。人の住まない家はすぐにダメになってしまう。俺は悲しい気持ちになりながら、シャッターをきった。家の中までは見れないが、人が住める状態ではない。
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