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3.おめでとう
会社に着き「スマホが壊れちゃってさ」と言いながら鞄から取り出したスマホを机に置く。と、その瞬間メールの着信を知らせる音が鳴り画面が明るくなった。壊れてないじゃん、と隣に座る女子社員が笑う。
「あれ、おかしいなぁ」
私はスマホを手に取り画面を矯めつ眇めつ眺めたが確かに壊れてなどいない。何だったんだろうと訝しく思いつつもまぁ壊れてないならいいや、と鞄にしまおうとして着信履歴が残っていることに気付いた。母の番号からだ。どうせろくなことじゃない。でも無視していてもまたかかってくるだろう。現に昨夜から何度もかけてきたようだ。知らない番号からの着信も混ざっており何事だろうかと気になった。
「ごめん、ちょっと電話してくる」
私は休憩スペースに移動し電話をかける。しばらく呼び出し音が鳴った後ようやくつながった。
「あ、私、何?」
だが耳に飛び込んできたのは低い男性の声。彼は警察だと名乗り母が交通事故に遭ったのだと告げた。無事だったスマホに私の番号が〝娘〟として登録されていたので連絡を取ろうと何度もかけていたらしい。
「そうですか」
私がそう言って電話を切ろうとすると警察が慌てた様子で引き留める。でもそれ以上話を聞く気はなかった。あんな女、どうなろうと知ったことではない。
「もう縁を切っていますから。失礼します」
通話ボタンを押して電話を切り母の番号を着信拒否設定した。何だか清々しい気分だ。スマホの調子が悪くてよかった、と思う。夜中に話を聞いていたら動転して母の元に駆けつけていただろう。でも今は違う。今朝電車で見た少女が悲惨な子供時代の記憶を新たにしてくれた。彼女にお礼を言いたい気分だ。
――おめでとう。
朝少女の言っていた言葉がふと脳裡に蘇る。あの娘……小さい頃の自分によく似たあの娘は本当に私自身だったのかもしれない。過去の私がようやく母から解放される私に告げた「おめでとう」なんじゃないか。そんな馬鹿げた考えが浮かび苦笑して首を横に振る。それでも私は胸の中でそっと呟いた。
――ありがとう。
その日以来電車であの少女を見かけたことはない。
了
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