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中学の入学式。教室で初めて佐伯くんに会った時、一目惚れした。
落とした消しゴムを拾ってくれた「はい」だけの短い言葉。優しい笑顔と声変わり途中の不安定なハスキー声。
その瞬間、私の胸に小さな桜の花が咲いた。
日を追うごとに、その花は少しずつ数を増やしていった。
授業を聞く真剣な横顔、楽しそうに友達と話す笑い声。汗を拭うバスケ部の練習に、稀にする現代文のうたた寝。
偶然触れ合う視線。
私たちの間に、特別な〝何か〟はない。
ただ、見つめているだけで幸せと思える瞬間が、そこにはあった。
中学三年の冬頃から、卒業してからのことを考えていた。佐伯くんは県外の有名私立高校、私は県内でそこそこの高校へ受験が決まっていたから。
当たり前に進路はバラバラで、それがこの片思いに終止符を打つ時だと気付いた。
しとしとと雨粒が小さくなり始めたのは、私たちが待合小屋に駆け込んでから、しばらくたった頃。
沈黙した何もない五分間は、夢中で見る読み切り漫画より長く感じた。
壁に貼られた『椛の湖さくら祭り』のポスターと、変わる気配のない同じ空ばかりを見ている。
それでも、私たちは重い腰を上げようとしない。
今ここを出ると、小雨とは言え、濡れて帰らなければならないのは確実だから。
彼の理由は、きっとそんなところだろう。
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