あなたのように

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「僕、三条さんみたいになりたいです」  中森篤人はタワーマンションの高層階から見える夜景に目を細めた。 「え? なに?」  シャワーから出てきた三条和仁は、濡れ髪をタオルで掻くように乾かしながらリビングに入り、篤人の後ろに立つ。  二人の身長差は10センチほどで、篤人も175センチあり、背は高い方だが、三条の隣に並ぶと小柄に見える。 「三条さんみたいになりたいです、僕」 「二人のときは、和仁で」 「和仁さんみたいに、なりたいです」  三条がふっと笑い、ふわりと優しく後ろから篤人を抱きしめる。  大事なものを扱うように優しく抱かれて、篤人はうっとりと表情をほどかせる。 「和仁さんみたいに、仕事もできて、かっこよくて、マッチョで、でもって、こんな家に暮らしたり・・・ 独身で頑張ってたら、こんな生活もできるんですねえ」 「ああ、篤人もなれるよ」  自分には無理だ。  三条の仕事ぶりを近くで見ていて、七年経って三条の年齢になっても、これほどの仕事はできないと思う。  でも、三条のようになりたい。 「どしたの? 急に黙って」  三条が篤人に頬を寄せて、笑う。篤人も笑い返した。 「ムリですよ、和仁さんみたいには、僕はなれません、たぶん」 「そんなことないよ」 「あります」 「ない、ない」 「ありますって」 「なれないなら・・・」 「なれないなら?」  三条が篤人の耳元に口を寄せて、小さく囁くように言う。 「俺の子供を産む?」 「え?」  篤人が驚いて三条の顔をみる。三条は、 「冗談、冗談」  と大きく笑うが、篤人は三条に強く抱き着き、その耳元で言った。 「僕、欲しいです・・・ 欲しいです、和仁さんの子供が」  この瞬間、篤人は本気だ。嘘はない。そんな篤人の頭を三条はゆっくりと撫で、静かな声で言った。 「じゃあ、はらませちゃおうかなあ」  その言葉に応えるように、篤人は三条に体をぶつけていく。  必死な篤人を三条は余裕の表情で受け止めた。 「僕、もう、三条さん無しでは生きてはいけないです」  言うなり篤人は撫でまわすように、三条の唇に自分のそれを重ねている。 ************ 「そっか、遠回しに結婚を求められてるわけね」  三条が苦笑する。  かっこいい。どうして、この人はこんなにかっこいいんだろう。  冴えないサラリーマンが集う騒々しい居酒屋で、三条の周りだけ黒く縁どられたように浮き上がっている。  篤人は上司の横顔に目を奪われる。  三条は楽しそうに薄く微笑み続けている。  見てはいけないものを盗み見るように、篤人はそれをじっと見ている。  悩みを聞いて欲しかったのか、三条と飲みに行きたかったのか、篤人は自分でもわからなくなる。  新卒でなんとか入った大手の建設会社で、やっと六年目。現場で怒鳴られ続け、四年目で本社の営業部に異動になった。  仕事は徐々におもしろくなってきた。  動かすプロジェクトの額もだんだん大きくなってくる。  これからというときに、おなじチームで営業事務をしている市井彩菜に結婚をほのめかされるようになった。  一歳下の一般職の彩菜は自分は会社には必要とされてないし、早く結婚して子育てがしたいと言う。  まだ一年しか付き合ってないし、まだ二十八だし。  彩菜のことは好きだが、こうなるとなんだか騙されたような気がする。 「俺? 俺だったら、したくないならもっと早めにNGのサインを出すけど」 「そうですけど、それができなかったから・・・」 「そーゆーのはタイミングだから」 「そうなんですよねえ」  篤人が居酒屋のカウンターに崩れる。 「仕方ないなあ」  三条が篤人を見て、笑う。 「俺から市井に話してみようか」 「え? いいんですか?」  三条は彩菜の上司でもある。そして、彩菜との付き合いは自分より長い。  彩菜も三条のことは慕っている。  あるとき、それに焼きもちをやいた篤人が、じゃあ課長と付き合えばと言うと、私じゃ無理、課長は高嶺の花と笑われてしまった。  じゃあ、自分は何なのだ。結婚するにはちょうどいい男なのか?  そのときにも感じた怒りが篤人の中でぶり返す。 「難しい話だから、口を出すと逆効果かもしれないけどな。俺に話してたこともおもしろくないかもしれない」 「ですよねえ・・・ いいです。僕、自分で話します」 「そうか」 「はい、頑張ります」 「頑張るもんじゃないけどな」 「でも、頑張ります」  起き上がり、右手を握りしめて掲げ気合を入れる篤人を見て、三条はにやりと笑い、篤人の頭をポンポンと叩いた。  酔うと赤くなる篤人は、今日は初めてそれが役に立ったと思った。 ************  結婚はまだ考えてないと彩菜に告げると、彼女は思ったよりも強い反応を示した。 「わかった。じゃあ、別れて。ってゆーか、とりあえず出てって」  残業後に篤人は彩菜の部屋に立ち寄り、コーヒーを飲んでいた。  相性の悪かった派遣社員が異動することになり、彩菜はその夜ご機嫌で篤人を迎え入れたが、その上機嫌は三十分と続かなかった。  機嫌がいいときにと話を切り出す機会をうかがっていた篤人は、部屋を後にしながら、こんなことならもっと早く切り出せばよかったと思った。 「まあ、そーゆー話はいつしてももめるわな」  電話口で三条はいつもの抑揚のない声で言った。  彩菜の部屋を出て、篤人はやりきれない気持ちになった。彩菜を好きな気持ちはまだある。  傷つけてしまったと罪悪感もあるし、しかし、自分の思い通りにならなければとたんに人が変わる彩菜にはもうついていけないとも思う。  まっすぐ家に帰るつもりにもなれず、駅の前で三条に電話をかけた。  彩菜のことをずっと相談していたし、誰に電話しようかと思ったときに一番先に顔が浮かんだのは三条だったのだ。 「ですよね・・・」  篤人はしょんぼりする。  人との諍いが嫌でいつも周囲の顔色を伺っている篤人は、年をとってもこういった衝突が受け入れられない。 「うち来るか?」 「え?」 「明日、土曜だし、泊っていけよ」 「いいんですか?」 「一人の部屋に帰りたくないだろう」 「・・・ はい」 「最寄りの駅は笹塚だから、着いたら連絡しろ。迎えに行ってやる」 「あ、ありがとうございます」  篤人は胸が弾むのを感じながら、さっきの彩菜の硬くなった表情を思い出し、少し胸が痛んだ。 ************  三条の部屋は駅からすぐのタワーマンションの24階の部屋だった。  広いリビングに通され、篤人はすぐにカーテンの開いていた窓辺に寄る。 「すげえ」  篤人は感嘆の声をあげる。  どこかの高級レストランから見えるような都心の夜景だった。 「新宿が近いからな。ビールでいいか?」 「あ、はい」 「腹は減ってないか?」 「ちょっと・・・」 「焼きそばでいいか?」  ピザとかパスタとか言いそうなのに、と篤人は余計なことを思って、反応が遅れる。 「そ、そんな。いいです、いいです」 「遠慮すんな。ちょっと待ってろ」  そして、二人で焼きそばをつつきながら、酒を飲み始めた。  空腹を満たし、アルコールで神経がほぐれると、篤人は次第に饒舌になっていく。  結婚できないって言ったら、それでお別れですよ。どう思います? 僕、結婚できなければ何の価値もないってことですか? なんかだまされた気持ちっす。あいつ、結婚できれば誰でも良かったんですよ。僕を選んだのは気も弱そうだし、押したらいけるって踏んだからですよ。ほんと、ひどいですよね。泣くに泣けないっす。  篤人は心のモヤモヤを晴らそうと、おなじようなことをぐちぐちと繰り返した。  三条はそれにいちいち相槌をうち、楽しそうにビールを飲んでいる。  乱れる自分と、いつも通りの余裕たっぷりの三条。  三条に非はないのに、恥ずかしさと悔しさのせいか、酔いが回るのが極端に早かった。  酒のペースを落とそうと、立ち上がり、窓辺に立つ。  掃き出し窓の外には、さっきと変わらない都心の夜景が広がっている。 「あっちが、新宿ですか?」  いくつものビルが重なったように建っている方向を指さし、篤人が言う。  三条も立ち上がり、窓辺に寄ってきた。 「そうだよ」  すぐ隣に立たれ、驚いた篤人が三条を見上げる。  三条は篤人の視線をしっかりと受け止め、篤人を見返した。  篤人が視線をそらそうと首をひねると、顎をつかまれ、固定される。 「さ、三条さん」  篤人の声が震える。何が始まるんだろう。  恐ろしさと、泥の中に手を突っ込んでみたいような好奇心が同時に胸に湧き上がる。 「怖いか?」  篤人は首を振る。その間も三条の視線から逃げることができない。  三条の瞳の奥には、都心のビルのような光が宿っている。それは欲望だと篤人は理解する。  篤人は自分から三条の唇に自分のそれをゆっくりと重ねていく。  篤人の震える唇を三条は、甘いクリームを舐めまわすように、頬張った。  自分はずっとこうしたかったんだと篤人は気づいた。初めて、三条を目にした日からずっと。  もう脳裏に、彩菜の顔は浮かんでこなかった。
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