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6
当時を思い出したのだろう。森山は長い溜息をつき、右手を広げ自身のこめかみを押さえた。
「先生、お疲れですか? コーヒーでも淹れましょう。キッチンをお借りしますよ」
都築は読みかけの短編小説を机の上に置き、インスタントコーヒーを淹れるためキッチンへ向かった。
いつも通り自分はブラック、森山は砂糖とミルクを入れ、小さなトレーに乗せて森山の元へ戻る。
「先生、お疲れでしたらお話は後日で結構ですよ。私もこれを読んだら会社に戻りますから」
都築のねぎらいをありがたいと思いながらも、
「いや、私の話はもうすぐ終わる。だから最後まで付き合ってくれ」
森山はコーヒーを半分ほど飲み、また話し始めた。
雅美の七回忌が終わり大学を卒業してすぐ、手始めにいくつかの賞に応募した。そして応募したもの全てが大賞を受賞した。雅美の才能はすぐに世に認められたのだ。そう、私の予想通りに。
しかし、この作品はどれも私のものではない。雅美から奪ったものだ。
そして、この名前も彼女から奪ったものだ。森崎雅美の一部を奪い、森山牙と名乗った。
雅美から奪った作品を、雅美から奪った名前で発表した私だが、この作品が彼女のものであることは誰にも知られるわけにはいかなかった。
大賞受賞ともなると、自分の出版社で契約してほしいという連絡がくる。しかし、私が本名も住まいも一切明かさないことが条件だと言うと、どの出版社も契約を諦めた。
仕方ない。公募に出し続けるしかないかと思っていた時に、こちらの条件を全て呑んだのがあなたの勤める出版社だった。
「極度の人間不信により担当を一人決めて、その人だけとのやりとりをしたい主張した私に、初回の出版打ち合わせ以外は担当を固定すると確約してくれたね」
「それでもはじめは郵便のみのやりとりだけでしたよね。いやあ、初めてお会いできた時は感動しました」
都築が興奮気味に口を挟む。森山は話を続けた。
「出版社とも付き合いが長くなり、雅美が亡くなって十年が過ぎたことで少し気が緩んだのかもしれない。今の担当を変えない約束で、対面でのやり取りをすることにした。だから私の顔を知っている者は、私が森山牙だと知る者は、あなたとあなたの上司の二人だけだ」
森山が都築の方を見ると、コーヒーを片手にうんうんと頷いている。
「それからも私は作品を発表し続けた。しかしそれは私のものではない。全ては天才『森崎雅美』の作品だ。発表する度に話題になり、絶賛される作品の数々。読者は魔法にでもかかったように作品にのめり込み、読み終わるとすぐに次作を待つようになる。しかし、作者は森崎雅美なのだ。十六歳で命の終わりを迎えた女性が書き残した作品だ。新作は出ない。この手元にあるもので仕舞いなのだ」
森山は大きく息を吸うと
「そして、その『仕舞い』が前回の小説だよ」
寂しそうな、諦めたような顔で冷めたコーヒーを飲み干し都築を見た。都築は森山に渡された次回作とされるものと森山の顔を交互に見ている。
「今手にしているものは読んだかね?」
「いえ、あと少しです」
「では、最後まで読むといい。雅美のノートに残された最後の小説を発表した私は、次からは自分で書くのだと久しぶりに筆をとった。それが、今あなたが読んでいる『それ』だ」
森山はそう言うと無言で都築が読み終わるのを待った。
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