Prologue

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【サツジン】 驚いたことに女神は ケータイという名の銃口を俺に向け 待ち伏せしていた。 怒りや嫌悪といったマイナスオーラが 不穏な青白い炎のように 立ち昇っているのが分かる。 地下街から僅かに吹き上がってくる 生暖かい風が彼女の黒髪を うねる蛇のように揺らす。 怒りがこもったその眼光で 俺は石になったかのように動けない。 ── 一体……何が起こった? 彼女は俺の目の前で仁王立ちして その手にケータイを構えていた。 そして俺に向かって躊躇なく シャッターを切った。 シャッター音と共に一瞬の閃光フラッシュ。 神々しい女神が一転 人を殺しかねない凶悪な形相で 俺に詰め寄る。 「ガゾーショーキョしてよ! さっき勝手に撮ってたでしょ?」 汗ばむ手で握りしめられ 小刻みに震える俺のケータイを指差して 辺り構わずヒステリックに怒鳴り散らす。 ケイサツやらハンザイやら ツーホウやらの単語が乱れ飛ぶ。 「キモいんだよッ、この盗撮犯が!」 ── トウサツハン? 俺は焦りの余り相手の言っていることが よく理解できない。 茫然としている俺の肩を 少女は罵りながら激しく突き飛ばした。 そんな俺をチラチラと見ながら 周りの通行人が通り過ぎて行く。 ── コイツらみんな狂ってやがる。 俺が一体何をしたというんだ。 俺は、彼女の体に傷一つ付けていないし ましてや指一本触れていないじゃないか。 とにかくこの場から一刻も早く逃げるんだ。 このカリバから。 だけど女が……。 何故か執拗に俺を追って来る。 ── 大衆の面前で恥をかかせたんだ。 もう充分だろ。 追っていたのは俺の方なのに。 狩人ハンターは俺なのに。 何故、俺はこんな細腕に胸ぐらを掴まれ 締め上げられているんだ? それにしても、なんて力だ……。 手負いの獲物の生死を賭けた反撃に 俺の頭の中は真っ白になる。 ── 駄目だ。 このままじゃ俺は破滅する。 こんなところを知り合いにでも見られたら たまったもんじゃない。 職場や家族にこれが知れたら……。 俺は、妻は……娘はどうなってしまう? 死にものぐるいで抵抗しろ。 全力でシラを切り通せ。 次の瞬間、世界から音が消えた。 追って来た女と歩道橋の上で揉み合ううち バランスを崩し制服のスカートをなびかせて 手折られた花のように女は歩道橋から 下の車道へフワリと……落下していった。 そう、茫然と立ち尽くす俺に ギリギリまで手をのばしながら。 まるでそれは スローモーションのようだった。 その瞬間 極限まで見開かれ潤んだ黒い瞳には 呆けた顔した俺の姿が確かに映り それはゆっくりゆっくりと 小さくなっていく。 女はアスファルトへ叩きつけられ 身体をバウンドさせると 赤い血潮が黒いアスファルトで花開き 舞い散った。 ほんの数分前 穢れたこの世を浄化するため 雑踏へ降臨したかに見えた女神の 長く美しい手脚があらぬ方向へと 奇妙に折れ曲がり血溜まりに浸って 痙攣している。 花びらのような唇を微かに震わせ 何か一言つぶやいた後 数秒前まで女神だった塊はゴボリと血の泡を 吐き出してそれきり動かなくなった。 その禍々しいまでに変わり果てた姿は 最期に全ての力を振り絞って 俺を呪っているようにしか見えなかった。 喉がカラカラに渇き 舌が口の中でへばり着く。 オレガ コロシタ? チガウ! チガウ! チガウチガウ! 彼女が歩道橋に残したスクールバッグの横で 俺は力なく崩れ落ちた。 次の瞬間 ブレーキ音の尾を引きながら 悲鳴をあげるかのように 歩道橋の下でトラックが急停車した。 それは街の騒ついた空気を一瞬で引き裂き さっきまで女神だったモノを 無惨に引きずった。 車の流れを突如堰き止められ 後続車がトラックの後ろで 次々とクラッシュする音が街にこだました。 ── サツジンハン! 連続する衝突音が鼓膜にねじ込まれると 歩道橋で放心していた俺は蛇女(ゴーゴン)の呪いが 突然解けたかのように我にかえって 自分のケータイを握りしめ辺りを見回した。 人影は無い。 誰も……見ていない。 足元に残されたスクールバッグの中から くぐもったケータイの呼び出し音が 聞こえた。 暴発しそうな心臓の鼓動を抑えつつも 平静を装った俺は背中をまるめ 足早に現場を立ち去る。 オレ ジャ ナイ。 オレハ ワルク ナイ。 オレハ ワルク ナイダロ!! うわ言みたいに繰り返しつぶやき そう自分自身へ何度も何度も言い聞かせる。 歩道橋の陰で 携帯片手に茫然と立ちつくす1人の人影に この時は全く気づくこともなく。
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