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第19話 結ばれて
藤島は部屋に入ると、あちこちの電気を付けてまわった。
「村瀬さん、そこに座っててください」
藤島が「コーヒーを淹れましょう」と言って、キッチンで湯を沸かし始める。
カップを用意する音や、お湯がコトコトと湧く音。
それ以外の音はなく藤島も黙って奏に背を向けている。
そんな静けさが奏の居心地を悪くしていた。
「私が淹れましょうか」と言おうとしたが、何故か言葉が出なかった。
自分が動くと部屋の空気も動き、何かが変化するのが怖いと思った。
静けさだけではない。
藤島から伝わって来る張り詰めた空気が、奏に伝わってきていた。
「村瀬さん、僕と二人っきりでいるのが怖いですか? 」
突然、藤島が後ろを向いたままで唐突に聞いてきた。
後ろに目があるわけでもないのにどうして分かるのだろう。
「実は…… 僕も怖いんです」
「えっ! それはどういう意味……? 」
「君が心配してたような事態になりそうだから」
「えっ、私は何を心配していましたか? 」
「…… 」
今の奏には藤島の沈黙が何より怖い。
「なぜ、そこで黙るんですか。最後まではっきり言ってください」
「君と僕の関係ですよ」
「支店長と部下の関係ですよね。私が上司になることはあり得ませんけど」
わざとふざけて平静を装う。次の言葉が怖い。
「違いますよ。既婚者を避けようとする部下と、不倫する可能性はゼロだと宣言した上司の関係です」
何やら、遠回しに言われているが、あまり理解できなかった。
奏が藤島の背中に向かって訴えた。
「支店長、おっしゃってる意味がまったく分からないのですが。頭の悪い部下にもっと分かるように説明してください」
それでも藤島は、押し黙ったままコーヒーを淹れ終えて、テーブルに置くと奏の対面に座った。
「まず、コーヒーを飲んでください。そして、今から僕が話すことに口を挟まずに最後まで聞いてください」
奏の目をじっと見る。
その決意したような真剣さが尋常ではないことは分かった。
「はい、わかりました」
言われるままにコーヒーに口を付ける。
その様子を見守る藤島の視線が奏に絡みつく。
「こないだ… 君がよろけて僕の腕に付けた痣ね。ホラまだ痕が少し残ってる」
唐突にシャツをめくって腕を見せた。
「すみま――」
謝ろうとする奏の唇にシィーと指を当てる。
「この痣を見るたびに胸が締め付けられるんです。一緒に劇を見て、食事をして帰った日のことが忘れられなくて。
あの日、君は酔ってしまって僕に支えられて部屋まで来ました。玄関で靴を脱がせ、ソファに辿り着くのに君を抱きかかえなくてはならなかった。
君は、僕の首に顔を近づけ「支店長、私この香り好きです」と腕を僕の首に巻きつけたんだ」
「! そんな――」
「シー」藤島が奏の言葉をさえぎる。
「当然僕はあせりました。これでも上司ですが現役の男ですから」
感情を押し殺してはいるが、その目が発する想いはしっかりと奏を貫いている。
――とんでもない部下だったんだ私……
「酔っていたとはいえ、本当に申し訳ございません」
恥ずかしさに血の気が引いた。献血10本くらいした気分だ。
「だから、黙って聞いてください」
再び藤島が言葉をさえぎる。
「それから僕は、君を抱えて急いでベッドに連れて行き、君を僕から引き離そうとした。なのに、君は離れようとしなかった。相手が男なら乱暴に引き剝がせば済む話ですが、そんなことができるはずもない」
奏は耐えられずに両手で自分の顔を覆った。
「そのまま君と一緒にベッドに倒れ込むしかなかった。ここまでは不可抗力ですよね、奏さん」
もう顔を見る勇気もなく、奏はコメツキバッタのように頷いていた。
「そうしたら、君が僕の胸にすがりついてきて囁いたんです。”支店長、大好きです…… って」
話している藤島が苦しそうに言葉を切った。
「僕はどうしたら良かったと思いますか? 」
「そんなふしだらな女、殴ってでも叩き出せば良かったんです! 」
涙でくしゃくしゃになりながら、奏がことばを吐き出した。
心臓がバクバク鳴って、手も震えている。
「そんなことできるわけないですよ。相手は、初めて会った時から惹かれていた女性なのに」
「えっ!! 」
思いがけないことばが耳に飛び込んできた。
顔があげて指の隙間から藤島を見た。
「まだ話しは終わっていません。最後まで聞いてください。
僕は思わず君を抱きしめた。君はそれに応えるように絡みついてきたんだ」
そこまで言うと藤島が黙ってしまった。
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