「鬼ネコになりたい」

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「鬼ネコになりたい」

「鬼ネコになりたい」 佐々木さん家の飼い猫、ミャーゴにはそんな夢があった。 濃い茶トラの毛並みは鬼っぽい。 少しハスキーな鳴き声も、アウトローなワルって感じ。 トラの毛皮をまとい、ツノとキバを生やしたコワモテの鬼の姿を思い浮かべながら、リビングの姿見に自分を映すミャーゴ。 「結構アタシって、鬼に似てるんじゃない?」 ミャーゴはうっとりと自分の姿を眺めながら、いつか鬼キャラに変身する日を夢見ていた。 だが、少し後ろめたい気持ちもある。 今まで育ててくれたジイとバアを裏切るようで……。 そんな気掛かりのせいで、ミャーゴは急激なキャラ変に踏み切れないでいた。 今まではどちらかというと真逆のキャラを演じていたことも悔やまれる。 「ゴロゴロ」と甘えた声でねだると、いくらでもエサがもらえたのだ。 いきなり鬼キャラになった時のジイとバアの慌てぶりを想像するだけで、ミャーゴはいたたまれない気持ちになった。 「ひゃー大変だ! ミャーゴが不良になったわい!」 「あわわッ! 何かおかしなモノでも食べたのかしら?」 高齢のジイとバアをビックリさせるのはミャーゴの本意ではなかった。 でも、本気で鬼ネコになりたいのだ。 夢と現実にはさまれて、ミャーゴの心は苦しくなった。 これまでさんざんジイとバアの優しさに甘えてきた罰かもしれないと思った。 ミャーゴは佐々木家が迎えた久々の飼い猫だった。 公園に捨てられていたミャーゴをジイとバアが助けてくれたのだ。 その時、ミャーゴは心細くて必死に鳴いていた。喉が渇き、声が枯れそうになっても懸命に鳴き続けた。 その甲斐があって、耳のいいバアがミャーゴの鳴き声に気づいてくれたのだ。 そうやってミャーゴは救われたのだった。 今でもミャーゴは段ボール箱から拾い上げてくれたジイのしわしわの手の感触を覚えている。 子猫だったミャーゴにとってジイとバアは命の恩人。きっと、助けてもらわなければミャーゴの命は無かったはず。 でも、佐々木家の生活で残念なことが一つだけあった。 この家に拾われてきて以来、ミャーゴは一度も外に出ることを許されていなかったのだ。 あの日から三年、ミャーゴは何不自由なく生活している。 食事も睡眠も自由な時間に好きなだけできるし、毎日猫じゃらしで運動もさせてもらっている。 冬になるとリビングに出されるコタツの居心地は最高だ。 しかし、外に出たいのだ。 たまにミャーゴは「タマ」という先輩猫の話を聞くことがあった。 何年も前にこの家に住んでいたネコらしい。 その先輩猫は自由気ままで、プイッとどこかへ出掛けては三日ほど帰ってこないこともあったという。 「ジイとバアを心配させやがって」 ミャーゴはその話を聞くと、いつもちょっぴりムカっときた。 近所のボス猫とケンカして、ケガをして帰宅したこともあったそうだ。 ワイルドなヤツだ。 そんな「タマ」がある日、珍しく「ミャー」と可愛らしい声で何かを告げたかと思うと静かに家を出て行き、それきり帰って来なかった。 そんな「タマ」とのお別れをジイとバアは経験したそうだ。 その経験があったから、ミャーゴは外へ出してもらえないのだと考えていた。 「でも、アタシにはアタシの一生がある」 ミャーゴは新しい世界を見たくなったのだ。 「未来のアタシを決めるのはアタシだ!」 ジイとバアには悪いと思ったが、ミャーゴの決意は固かった。 そのためには、少しずつキャラを変えていかないと。 ミャーゴはジイとバアが腰を抜かすほど驚くことがないようにと作戦を練った。そして、地味に一歩ずつ鬼ネコへとキャラ転換していくことにしたのだ。 エサがほしい時は「ゴロ」と短く鳴く。「ゴロゴロ」としつこく鳴かない。 ジイと一緒に観るテレビの大相撲中継にはもう夢中にならない。観たとしても、たまに興味がないフリをしてアクビをする。 バアが買い物から帰って来ても嬉しそうに出迎えない。逆に「シャー」と十回に一度は威嚇してみる。 そういう努力が必要だとミャーゴは考えていた。 もうすぐ節分が来る。 バアはすでにスーパーで豆を買ってきていて、その豆は台所に置いてある。 節分の日を迎える準備は万端だ。 きっとジイはその日の夜、いつものように玄関でその豆を投げることだろう。「鬼は外! 福は内!」と大声を張り上げながら。 ミャーゴはその時がチャンスだと狙っていた。 一年に一度、ミャーゴが家から外へ出るタイミングはそこしかない! そして、佐々木家を旅立ち、新世界へとジャンプするのだ。 そのためには「鬼ネコ」になる必要があった。 恩義があるジイとバアとサヨナラするためには、誰もが納得できる理由が不可欠だとニャーゴは思った。 それが、「鬼は外! 福は内!」だった。 ミャーゴが「鬼ネコ」になることさえできれば、ジイの「鬼は外!」の号令とともに外の世界へ駆け出せると思った。なぜなら、それがジイとバアの願いなのだから。 「そういうイベントでしょ? 節分って」 それがヘリクツだということはミャーゴだって百も承知だった。 ジイとバアに不義理をすることも。また、つらい別れを経験させてしまう。 残されたジイとバアの気持ちを考えるとミャーゴの胸はギュッと締めつけられた。心が痛い。 それでも、ミャーゴは旅に出たかった。 きっと、節分の夜は寒さが身にしみることだろう。今までヌクヌクと暮らしてきたミャーゴには耐えられないかもしれない。 街に出たならお化けサイズのネズミがいると聞いたことがある。大きく育ったネズミと暗い路地で鉢合わせしたら? そんなピンチをどう切り抜けるか、イメージトレーニングをするだけで小心者のミャーゴは涙目になった。 それでも痛みがなければ、何も得られない。 「ノーペイン、ノーゲイン」 ミャーゴはどこかで聞きかじったフレーズを呟いてみた。 外へ出れば、信じられない奇跡と遭遇する可能性だってある。 ジイとバアの前から突然消えたタマだってどこかで生きているかもしれないし、先輩猫のタマと後輩猫のミャーゴがどこかで運命的に出会うかもしれない! 家の中は安全だし快適で申し分ないが、家の外にはそんな思いもしない楽しいことや面白いことがあちらこちらにいっぱい転がっている気がした。 そうだ! 家の外には無限大に広い世界があるのだ! そして、その外へ出るためには年に一度の節分のチャンスに賭けるしかないと思った。 だが、もう今年は間に合わないだろう……。 ミャーゴは今回の機会は見送ることにした。 キャラ変をするには時間が足りないのだ。 「ムムッ、いい匂いがするぞ!」 気がつけば、ジイがニコニコしながらおやつの干し芋をミャーゴの鼻先に近づけていた。 「くれるの?」 ミャーゴはチラッと上目遣いをしながらジイにすり寄った。 「ほれ」 ジイが干し芋の端をちぎってミャーゴに投げる。 それにすぐに食いつくミャーゴ。 「うん。うんまい」 ミャーゴは干し芋の絶妙な甘さ加減にほっぺが落ちそうになりながら、キャラ変を始めるのは明日からにしようと考えていた。 「鬼ネコ」への道は遠いのかもしれない……。 (おわり)
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