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蠱惑Ⅱ『駄菓子屋のスカ』
定年退職して故郷に帰りました。まさか40年もこの会社に厄介になるとは思いませんでした。18で上京し、62で帰郷する。自慢じゃありませんがその間に戻ったのは一回だけでした。母親の葬儀が済んで十日後でした。親戚からは親不孝者と蔑まれていましたが帰らなくていいと言ってくれたのは母親でした。帰るならその分の交通費を送ってくれた方が随分とありがたいと言っていました。月に一度電話で声を聴ければいい、三カ月に一度写真を送ってくれればいいと母親の言う通りに付き合っていました。
私は東京の郊外に小さいながらも自宅を構えることが出来ました。何故帰郷を決めたかと言うと家内と離婚が決まったからです。双方に浮いた話などありませんが、お互いが一人になりたいと言う理由です。私は家内に自宅を譲りました。その代わりに貯えを私がいただきました。相殺すると自宅の方が倍の値打ちがありますが、それも致し方ないと受け入れました。
私は僅かな貯えを持って実家に戻りました。家は朽ちかけていますが少し直せば私一人の居住スペースとしては充分でした。貯えは切り詰めれば5年は持つでしょう。その後は考えても仕方ありません。餓死するか誰かに助けてもらうか、その時の運でしかありません。
自分で材料を集めコツコツと家の補修を続けました。時間はたっぷりとあります。三カ月間で外装まで塗り終えることが出来ました。
「へえ、大したもんだ、一人でここまであの朽ちた家を直すのは」
この集落の長が長い杖をついて言いました。
「はい、お陰様でなんとか住めるまでになりました」
縁と言うのは不思議なもので、私の素人に毛の生えた程度の修復技術を買われ、村の家を直して欲しいと依頼が来たのです。役所の人まで駆け付けて、古民家の宿として村興しに協力を頼まれたのです。それは私にとっても大歓迎の誘いでした。五年で尽きる貯えを増やすチャンスでした。私は村で有名になり小学校で日曜大工教室を開くことになりました。月に一度ですが手当がいただけるそうです。私は50年振りに卒業した小学校に行きました。小川に沿うように建てらていた木造校舎は鉄筋コンクリートになっていました。グラウンドの端から端まであった長い校舎は5分1程度になっていました。生徒が年々減っているとは聞いていましたがまさかここまでとは寂しい思いになりました。
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