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まだこの時間じゃ起きてないだろうな。 「ただいまー」と家に帰る頃いつも思う。  多分、こっちが夕飯食べる頃、向こうの目覚ましが鳴ってオレが終えようとしている日付の朝を迎える。  あっちが起きて、顔洗って、朝飯食って、歯を磨いて、着替えて、多分化粧なんかして(見たことのない顔になってるんだろう。この間送られた写真はひどかった)、スクールバスが待っている角まで歩いて、それ乗って、学校について、友達とおはよう、元気ぃ?なんて言い合って、ちんぷんかんぷんな授業を(例えば早口の太って丸い先生の授業だとか)を受け、腹減った・・・と思い始めた頃、オレは寝る。  オレが寝る時はいつも、「ピザばっか食ってんじゃないぞ。お休み」とひどい顔(送ってもらった写真)に向かって言う。  この世の空はつながっているんだとばかり思っていたら、そうじゃなかった。空には線が引かれていて、そこから先は違う時を刻む違う世界が広がっている。同じ瞬間なのに、違う時間を過ごしている。  チーという女の子がつながらないニューヨークの空の下に行ってしまってからそんなことばっか考えている。 チーというのは、初めて出来た彼女で、付き合ったと言えるのは1ヶ月あったかないか。付き合うまでが速攻だったのに、デートなんてろくにしないうちに遥か彼方へと旅立ってしまった。「行くの夢だったの」と言われたら「良かったな」としか言えないだろ。 「忘れないでね」「忘れないよ」、「手紙書いてね」「手紙書くよ」 いつの間にか初めて出来た彼女は、初めての文通相手になって新しい生活事情を事細かに教えてくれるようになった。そんなもんだから、はっきり言ってチーがオレのことをどのくらい想ってくれているのかは微妙なところ。そんな時、忘れられちゃったところで、驚くことは何にもないんだ、その方が当たり前なんだ、と最悪の事態に精神を慣らそうとしている臆病者の自分がいる。チーはオレがこんなんだってこと思いもしないだろうけど。  夕飯を食って部屋でゴロンとしていると電話が鳴って、お袋が出た。 「具くんよ~」と階段の下から俺を呼び出した。 具博(ぐ ひろし)は通称グッピーでオレの親友に値するヤツだ。 「はいはい、どーも」 「はいはい、どーもってお前、バイトどうして来ないんだよ。クビになるぞ」  グッピーから本屋のバイトを紹介してもらったばかりだった。今日は腹痛と嘘ついて休んでしまった。 「めんご、めんご。来週はちゃんと行く!」 「来週じゃねーよ。明日もしあさってもだろバイト入ってるの。カレンダーあるの? お前んち」 「あるよ~。うるさいな!」 「じゃあ、何曜と何曜がバイトか言ってみ」 「スイ・モク・ドー」 「そうそう。分かってんじゃねーの。世話焼かせんなよ」 「それなの? 電話かけてきた理由は?」  グッピーはまず説教から入るのが常だが、これはオレの周りの友人達に共通することだ。 「そういやさ、海行く? お前。日曜の早朝出発だけど」 「あ~、あの話ね。でもさー、めんどいねー」 「何がめんどいんだよ。お前ってさー、ほっといたらホント時間が進んでいることも忘れてそーだな。何もしないうちに夏も終わっちまうよ」  夏休みがはじまったばっかだと感じていたのに、もう終わると焦ってるやつがいる。オレとしては夏も秋も冬も豪速急で通り過ぎてほしいくらいだ。1回転季節が回ればチーが帰ってくるはずだ。 「なぁ、とにかく行こうぜ、海。ただで泊まれちゃうんだからいいだろ? 大勢でパーッと遊ぼうよ、な。女子も何人か来るって言ってるし、合宿みたいでおもしろいじゃんか」  海に行こう計画は、同級生の中に親戚が伊豆で民宿をやっているという重宝なヤツがいることから始まった。めんどい、と言っているのはそれを高校最大くらいの一大イベントに仕立て上げようという意気込みを感じたからで、オレは一大イベントをチーのいないところでやるのに罪悪感を感じていた。    グッピーからの電話はお袋によって断ち切られた。玄関にある電話の会話は筒抜けで、お袋はリビングからぬきっと顔を出し、「男のくせに長話してんじゃないの、明日も会うんでしょーよ」とやってくれた。それは受話器を通してグッピーにも伝わり、「考えとけよ、明日な」と大人しく引っ込んでくれた。  部屋に戻って、引き出しに入れていたチーからの手紙を読み返した。  内容は弾んでいる。  どうやら、あっちにも同じような境遇の学生が集まるパーティーが催されていて、そこでアメリカに住む日本人のやつらと知り合いになったらしく、住所を交換した、なんて書かれていた。オレはそれを喜んでやっていいのか分からなくなった。 “みんなが集まれる機会はこういう時しかないから、すっごく貴重! 30人くらい集まったんだよ! 大学生も参加していてちょっと大人な感じだった! 中にはこの夏が終わったら帰るという人もいて、せっかく知り合えたのに残念な気分・・・。 アメリカに来て、出会いと別れというのがものすごく身近に感じるようになったなー。勇樹たちと別れて、こっちに来て新しい友達に出会って、またその新しい友達とも別れて・・・。 でもまた会える人もいっぱいいる。再会ってやつ? いつか勇樹とアメリカで再会できたらかっこいいと思わない?“  アメリカで再会できたらかっこいい? オレってそんなレベルかよ。 大人な感じってなんだよ。せっかく知り合えたのにってなんだよ。 一年なんてすぐだって言ったじゃん。アメリカの方が良くなっちゃったのかよ。 こっちは今会いたいのに。  ぶくぶく不満が泡立ち始めて、ガキの頃にシャボン玉を作って遊んだときのコップを思い出した。ストローを刺して、ぶくぶくぶくぶく。泡の輪っかが幾重にも重なって、むくむくと増えていく。  オレは、そんな不満を微塵も感じさせない返事を書かなければならなかった。  チーの手紙が来たのは、おととい。着いたら三日以内に出す約束だ。日本から出したエアメールがアメリカに届くまでは大体一週間後。この手紙がチーの元に届く頃は伊豆旅行から帰って来ているだろう。 オレはチーの手紙を読み返しているうちに、グッピーの誘いに乗ることに決めていた。   チーとの最後は、アメリカに出発する前日だった。駅ビルの中のマックで、チーはストロベリーシェイクを頼んでオレはコーラを頼んだ。最後だってのに、チーは憎まれ口に近い口調で名ばかりのプレゼントをくれた。 「なんで手紙書いてくれないの、って内容の手紙を書く私が想像できるわ。そしたら、その返事に多分『ごめん家に便箋も封筒もなかったんだ』とか言い訳するつもりでしょ。そうは行かないんだからね。あと、これもだめだからね『郵便局が間違えて船便で送っちゃったからまだ届いてないのかも』こんなウソついたら許さないから。ちゃんと住所書いて、封して送ってくれたら絶対にエアメールで届くんだからこれ使ってね」  プレゼントは便箋と封筒のセットだった。封筒にはご丁寧に赤でVIA AIR MAILと印字されている。オレへのプレゼントといってもチーの手元に届く予定のものだから、あんまり嬉しくなかった。「便箋と封筒くらい買えるよ。どこにでも売ってんじゃん」ぶっきらぼうに返すしかなかった。 時間はどんどん過ぎていって、チーの記憶に留まるような決め台詞は何ひとつ思い浮かんでこなかった。明日の同じ時間に日本中のどこを探してもチーはいないんだ、と思うと今目の前にいるチーを人が見てようが、マックの中だろうが抱きしめたくなった。が、オレがしたことは「元気で行ってこいよ」のダサい台詞をいいながら、右手を出すというものだった。 チーのくれた便箋にまずは前略と書いてみる。 次に書いたのは、お元気ですか? の決まり文句。 いないことにだんだん慣れていくんだろう、と漠然と思っていた。それが自然だと思うことをチーがいなくなってから、気持ちのどこかで拒否していた。でも実際、今はこの事態に順応出来なくても、チーがいないところで他の奴らと一緒に大笑いしたり、感動したりしているうちに、だんだん慣れていくんだろう。 お元気ですか? まで書いてしばらくペンは止まったままだった。 何か新しいニュースをオレの方からも提供しなくちゃなぁ、と共通の友人である同級生のことを書いた。それから、オレの最近のことだとかをつまらない毎日ながらちょっと綴って草々で締めくくった。 最後の一行に‘87 8・5 勇樹 と今日の日付と名前を書いて、便箋を三つ折りにする。 もう一度開いて最初から読み直す。チーからもらった手紙と比べると平凡過ぎて、やっぱり出すのはやめようか、と頭を過ぎる。 駅ビルのマックで握ったチーの右手の感触を思い出そうとした。その時のチーの顔を思い浮かべようとした。送ってくれた化粧をした見慣れない顔のチーじゃなくて、オレの知っているチーの顔を・・・。思い出そうとすると、もっとマシな態度を取りたかったと思う自分がジャマしてうまくいかない。  階下からお袋が梨が剥けたと呼んでいる。急にのどが渇いた気になって、20世紀を食べに階段を下りてった。
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