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すぐに使いの者が長屋に行き、男を連れて来た。その男は、質素だが清潔でこざっぱりした着物を着ていた。なんでも目元に酷い傷があるといって、仮面をしている。最初は気味悪がった長屋の人も、男が大人しく親切な上に働き者なので、今では「仮面さん」と気安く呼んで、仲良くしているのだ。 部屋に呼ばれた仮面さんに善兵衛は尋ねた。 「お前の茶が、体にええそうやな」 「手前は田舎の年寄りに教えてもろたお茶を作ってるだけどす」 「医者にみせても、アカンかった。薬は娘が飲もうとせえへん。鍼灸も加持祈祷も効果がなかった」 「そんな……、お医者さまでもあかんのに、手前の手にはあまります」 「治らへんかっても、あんたのせいやとは絶対に言わへんさかいに」 「頼む!」と言って善兵衛は仮面さんに頭を下げた。 上女中が、仮面さんをりんの部屋に案内してくれた。りんの部屋は、大店のお嬢さんの部屋らしく、桐の箪笥や螺鈿(らでん)の鏡台など華やかな調度品が揃えられていた。だが、この部屋のあるじは、青白く痩せ細って、目を開こうともしない。 「お嬢さん、この乳母のお願いどす。どうか一口だけでも、お粥を食べておくれやす。このまま食べへんかったら、お嬢さんのお命が……」 そう言って、乳母が涙をたもとで拭いている。乳母は仮面さんを見ると、りんに呼びかけた。 「お嬢さん、長屋の人が体にええお茶をもって来てくれはりましたえ」 「……」 相変わらず、りんには反応がない。仮面さんはしばらくだまって、りんの部屋の片隅で座っていた。 火鉢にかけた鉄瓶がシュンシュンいって、お湯が沸いている。仮面さんは、乳母にことわって、持参した急須や湯呑、よもぎ茶を出した。よもぎ茶を入れることにしたのだ。急須によもぎ茶をひとつまみ入れて、熱湯を注ぐと、よもぎの良い香りが部屋に漂った。 その時、りんは目を開いて、香りがする方に顔を向けたのだった!
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