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81003c08-9fba-4b6c-b2db-f22d0b6d1712 りんは、坪庭(つぼにわ)の石灯籠の脇に植えられた千両の赤い実が、冬の弱い日に照らされているのをぼんやりと眺めていた。京都では町家の中庭のことを坪庭と呼ぶ。京町家は隣りの家と近い造りになっているので、光が入りづらい。だから、家の中心や居間の近くに坪庭を造って、お日様の光を室内に取り入れるのだ。 底冷えのする京の冬は厳しいが、りんの部屋には、手あぶり火鉢と置き炬燵がしつらえられている。たっぷりの綿と京友禅を惜しげもなく使った置き炬燵の布団が、りんの部屋に一層の娘らしい彩りを添えていた。 りんは『天保の改革』で知られている天保年間に生まれた。老中の水野忠邦が行った『天保の改革』は、倹約令を出し、身分の上下を問わず華美な服装や贅沢な食事を禁止するものだった。 りんの父・善兵衛は老舗呉服問屋の主人。町人は絹を着てはならないという掟が出され、商売に難渋したが、持ち前の商才と勤勉さで時代を乗り切った。男ぶりもよく役者のようだと言われるほどの善兵衛だからこそ、周りからの助けがあったことも大きいだろう。 りんの実母・せんも器量自慢だったが、りんが十歳の時に、流行り病であっけなく亡くなった。せんは病弱だったが、りんは幼い日、母と鴨川の岸辺をそぞろ歩いた。せんが、四季おりおりの鴨川の眺めを愛したからだ。母と一緒に、春のよもぎなど季節の野草を摘んだこともよく覚えている。 りんは、両親の血を引いたらしく評判の器量よしだ。人の心を引きつけて放さない黒い瞳、刃物でかっきり彫ったような形のいい鼻、白磁を思わせるしっとりした肌、薄桃色の愛らしい唇。 善兵衛はりんを溺愛し、りんは乳母や上女中にかしづかれて、お姫様のように贅沢に暮らしていたのだ。 だが、それはある日、唐突に終わりを迎えた。
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