もぞこいものたち

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 静かな車内には台風情報だけが響いていた。台風は南から迫ってきている。雨は強くなっていた。まるで私たちは台風から逃げるように北へ向かっていた。今は市内の実家から県北へ二時間ほどの場所へ向かっている。高速のぼんやりと灯るライトは打ちつける雨粒のせいで見えにくくなっていた。田舎道のせいか天候のせいか走る車の数も少なかった。そろそろ台風は宮城県内に上陸するらしい。車内は不思議なほど静かだった。後ろのラゲッジルームにはキャリーケースに入った仔犬が五匹もいるというのに。助手席の私の足元に丸まっている母犬──ビビもひと言も吠えなかった。なにか察しているのかもしれない。運転している妹も何も言わなかった。  辿り着いたのは母方の祖母の家だった。母が電話をしてくれていたのだろう、風が強くなってきているというのに、くの字ほどに腰の曲がった小柄な祖母が家の前の道路まで迎えに出てきてくれていた。 「離れは鍵を開けてあるから。少しは片付けたけど、ちゃんと掃除なんてしてねえ」祖母がすまなそうに言った。 「突然来たこっちが悪いんだから、泊めてくれるだけありがたいよ」私はそう答えた。妹は本格的に台風が来る前に戻るという。 「気をつけて。悪いね」そう言った私に妹は「仕方ないし」とだけ答えて帰って行った。  一ヶ月前に五匹の仔犬が産まれた。交配させたのはほんの気まぐれだった。子どもの持てない私は、自分の飼っている犬が出産したら素敵だろうなと思った。それでシェルティのブリーダーを探し出し交配を頼んだ。「もう四歳なのに初産なんて。妊娠する保証もないよ」そう苦言を呈された。どうやら犬でも高年齢出産というのはあるらしい。それでもいいと私は一縷の望みに賭けた。  その夏は異常に暑かった。何故かお腹は大きくならず、妊娠はなかなか判明しなかった。だがいよいよ予定日が近づくと暗がりを好み、自分のハウスの中にたくさん入れられたタオルを土や枯れ葉の代わりに集め始めた。出産は深夜0時過ぎから始まった。最初は順調だった出産も、暑さで体力がなくなり途中でいきめなくなった。腹の中の仔犬が詰まってしまった。このままではビビも仔犬も失ってしまうのではないか。苦しそうに喘ぐビビと鼠のような小さな産まれたての仔犬を見て、やっとその恐怖に気がついた。なんて浅はかだったんだろうと後悔した。けれど母犬は信じて疑うことのない瞳で私を見つめていた。命すら私に預けてるというのか。気合いを入れ直した。ビビの腹をさすり、出てきかけた脚をためらうことなく力一杯引き抜いた。逆子だった。必死で産婆の真似事をし、無事五匹を産むことが出来た。一匹は死産だった。  仔犬たちは産まれたてはおとなしかった。目の見えない中でも母犬のおっぱいを探し、必死で食らいついた。だが目が見えるようになってくるとそうはいかなかった。目に入るもの全てに興味を持ち。これは食べるものなのか遊ぶものなのか調べずにはいられないようだった。だが困ったことに〈ニンゲン〉は認識していなかった。母犬のことは理解できても〈飼い主〉を理解することはできなかった。それは少なからず私にショックを与えた。  全く言うことの聞かない五匹は、四時間寝て四時間起きるというサイクルだった。朝も夜も関係なかった。こちらがそのサイクルに合わせるしかなかった。なんでも口に入れてしまうので目が離せない。仔犬が起きてる時はゆっくりと食事などできないし、風呂にも入れなかった。一緒に暮らしているはずの旦那は「俺に迷惑はかけないでね」と言ったきりだった。そもそも仔犬を産ませることには反対だったからそれも仕方なかった。  たった五分だけ目を離した隙に、消臭剤のボトルの蓋を器用に外しこぼれた中身を舐めていた時には「もう無理だな」と思った。私ひとりではどうにもならない。それで実家を頼ることにした。  ビビと仔犬を連れて実家に戻った時は、家族は「大変だったねえ」と迎えてくれた。だが仔犬たちの予想外の破天荒ぶりに、とうとう父がキレた。急に物を投げつけ「出ていけ」と怒鳴った。自分の生活サイクルを邪魔されるのが耐えがたかったらしい。だがか弱き生き物にいきなり物を投げつけた父に私はブチ切れた。気がついたら「じゃあ出て行くわ」と怒鳴り返していた。それで台風の中放り出された。母と妹の計らいで私たちは祖母に家にやっかいになることになったのである。
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