想いが泡になる場所で

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  沖縄を軸にして、宮古島の対角にある人魚島。本島では見られない珍しい動物が生息し、美しい草木が生い茂る人気のリゾート地だ。  そして、私の生まれ育った島でもある。  小学5年生の夏休み。あの日の海はとても穏やかだった。  ……私たちがそう解釈していただけなのかもしれないが。 「お姉ちゃん。アクアバブルの作り方教えて」  私には当時小学3年生の妹がいた。控えめな性格だったから、同学年の友達と遊ぶより私にくっついて来ることが多かった。頼られるのは好きだったし、私のことをいつも慕ってくれていたことが嬉しかった。  そのころ私たちの通う学校ではアクアバブルを作るのが流行っていた。アクアバブルとは口や手などを使って水中で作る大きなわっかだ。しかし、妹の詩織はそれを作るのが下手でクラスメートに笑われていた。  あの日も、詩織のために海でアクアバブルの作り方を教えていた。   「復習ね。まず、水流が穏やかな浅瀬で潜って、海底に寝っ転がるの。私が先にやってみるから、詩織も見てて」  先に潜ってお手本を見せる。泳ぎが得意だったため、すぐに海底に辿り着き、岩に捕まりながら寝っ転がることができた。海中が静かになった後で軽く頬を膨らませ、ぷっ!と息を吹き出す。  透明なまん丸のわっかがクラゲのようにゆっくりと海上に浮上した。  横で泳ぐ妹の詩織を見るとゴーグル越しでも分かるほど、キラキラと目を輝かせていた。  私はゆっくり水面に上がり、ゴーグルを外す。 「姿勢のコツはね、腹筋を使って体を固定すること。次は詩織もやってみて」  そう言いながら横を向いたが、詩織の姿がない。まだ、潜っているのだろうか。少し待ったが一向に上がってこない。  凄く、嫌な予感がした。  慌ててゴーグルをつけて、海中を探す。  そこには、さっきまで隣で泳いでいた詩織の姿がない。  いつもここで泳いでいた。それに浅瀬だったはずだ。  全身から酸素がなくなりそうになりながら、必死に周囲を泳ぐ。だが一向に前に進まない。  詩織。詩織。何度も叫ぶが、口から漏れるのは大量の泡だけ。  焦れば焦るほど自分の泡で視界が悪くなり、周りが見えなくなった。  『詩織、お願いだから返事をして』  音のない海中で聞こえたのは、頭に鳴り響く自分の声だけだった。  それから1か月。島中の人と潜水士が詩織を探したが、見つからなかった。  明るかった私の家は一転、黒い霧がかかっていた。  私はずっと夢のような心地で、泣くこともできなかった。  耳にずっと水が入っていて、音がよく聴こえない。目の前に泡が溢れていて、前がよく見えない。体が重くて海底から上がれない。地上に上がっているはずなのに、私はずっと海の中にいるようだった。  あの日、島の診療所で働いていた母親と、沖縄で養殖の手伝いをしていた父親も自分たちのことを責め続け、疲れ果てていた。  母親が天井を眺めながら、ぼんやりと呟いた言葉をよく思い出す。 「蒼。この島がなんで人魚島って呼ばれているか知ってる?」 「……」 「海で迷子になった人が美しい人魚に生まれ変わるって伝説があるからよ。だから、きっと詩織も……」   私は曖昧に頷きながら、畳のささくれをいじっていた。  幻想的なことはあまり言わない母親だったが、そのころは毎日のようにこの話をしていた。  心の拠り所を必死に探していたのだと思う。  事故から2か月経った後も、潜水士による捜索が続けられていた。  砂浜には立ち入り禁止の看板とテープが貼られ、一般人は立ち入ることができなかった。  テープが張られたギリギリの砂浜から、遠くに浮かぶ巡視船を眺める。  オレンジ色のウェットスーツを着た人が海に上がっては、また海に消え、休む暇もなく活動していた。  私は毎日学校をサボって、それを一日中眺めていた。  私が……  心の底に沈んでいた感情がぽつり、ぽつりと浮き上がる。  未熟じゃなければ、妹を助けられたのかな。  悔しさで全身が震え、固く閉じていた涙のふたがはずれた。洪水のように一気に涙がこぼれ落ち、ダラダラと鼻水が垂れる。  どうして何もできなかったんだ。  目の前のテープを握りしめ、歯茎から血が出るほど食いしばっていた。口の中が錆びた鉄のような嫌な味がした。  悔しい。悔しい。悔しい。  今だって海の近くにいるのに、安全な砂浜で泣くことしかできない。  弱々しい自分の手足が憎くてたまらない。私の全身が憎くてたまらない。  ……私も、探したい。この手で見つけ出したい。  砂浜から救助活動を眺めるなんて、もう絶対に嫌だ。  涙で霞む視界の中、遥か遠くに浮かぶ巡視船を強く見つめた。  あの日、砂浜から見た光景が今も脳裏に焼き付いている。
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