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リヴィを乗せた馬車がバルナベット家の屋敷へと到着したのは、日暮れを目前にした頃であった。
暗殺一族と名高いバルナベット家の領地は、アンデルバール王国北部の山岳地帯に位置している。濃い霧に包まれた高山の山頂に、ひっそりとその屋敷を構えているのだ。付近には野生の獣がうようよと生息し、たとえ均された馬車道があるのだとしても、この屋敷に近づこうとする者は多くはいない。
「リヴィ様、どうぞ馬車をお降りください。足元にお気をつけて」
ドリスにうながされ馬車を降りたリヴィは、立ち込める冷気にふるりと身震いをした。キャンベル家の領地は1年を通して温暖だ。夜になっても寒さを感じることは滅多にない。
しかしこの場所はどうだ。肌に触れる空気は冷たく、立ち込める霧が髪や服をしっとりと濡らす。日暮れ時であるというのに美しい夕焼けは見えず、濃い霧の向こうに薄灰色の空をのぞむだけ。
(とても嫌な雰囲気だわ……ここにいるだけで気分が重たくなる……)
バルナベット家の屋敷は、霧の向こう側にどっしりと門扉を構えていた。うっそうとした木々に囲まれた屋敷は、豪華ではあれどまるで魔王の城のよう。アンデルバール王国に暮らす者であればその名を知らない者はいない、暗殺一族の住処だ。
重厚な屋敷の扉をくぐる最中、リヴィはドリスに声をかけた。
「あの……ドリス様」
ドリスは感情を感じさせない口調で答えた。
「どうぞドリスとお呼びくださいませ」
「……ではドリス。私はこれからどうなるのでしょう」
「まずは屋敷の主であるクラウス・バルナベット候に面会いただきます。その後のことは私も存じ上げません」
リヴィは肩をすぼめ、すがるようにドリスを見た。
「私はこんな惨めな姿です。厄憑きなどという不名誉なふたつ名もあります。まさかすぐに追い返されたりはしないでしょうか……?」
屋根裏部屋から出てそのままの姿で馬車へと飛び乗った。今のリヴィの姿は酷いものだ。
ルビーレッドの髪はぼさぼさで、肌にはなめらかさの欠片もない。頬はこけ唇は渇き、まるで死人のような有様だ。身に着けた衣服はすりきれたワンピース、キャンベル家の使用人ですらもっと上等な服を着ていた。
もしもリヴィがクラウス・バルナベットの立場であったなら、リヴィをバルナベット家に迎え入れようとは思わないだろう。美しくもなければ賢くもない、秀でた才能もない。ただみすぼらしいだけの娘など。
リヴィの問いかけに、数秒経ってからドリスは答えた。
「私はバルナベット家に仕える一使用人。主の考えを推し量ることはできません」
「そう……」
しかしすぐに帰れと言われたところで、リヴィにはもう帰る家はない。
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