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第五話 自殺の理由
朝六時に起きてラジオ体操に参加し、終わったら人形町の街をブラブラと散歩する、適当に朝食をとって家に戻ると美波は宿題に取り掛かり、僕はデスクで仕事をした、時折解らない箇所があると質問をしにきたが殆どは自分の力でやっているようだった。
宿題の問題を見ればどの程度のレベルか分かる、聡明な顔立ちはそのまま偏差値に反映されているようで少し見直した。
お昼は美波が簡単な物を作ってくれた、それまで湯を沸かす程度しか活躍の場が与えられなかったキッチンは今では毎日フル稼働している、炒飯や親子丼、冷やし中華に素麺、毎日違うメニューがダイニングテーブルに並ぶ。あまり他人が作った料理を口にした事はないが、かなり料理上手と言っても差し支えない気がした。
昼食を食べ終えると、食器を洗い、掃除や洗濯を始める、特段広くもない家を毎日ピカピカに磨いてくれた。下着を洗わせることに最初は抵抗したが。「大丈夫、大丈夫」としか言わない、照れると逆に意識していると思われそうで全面的にお願いする事にした。
午前中に仕事が終わってしまうので、午後は暇を持て余した、文庫本を読んだり、昼寝をしたりして時間を潰す。美波もまた本を読むか、またはどこかに出かけて行ったが場所は聞かなかった。
夕方になると買い物に出かける、夕飯の材料を買いに行く為だ、初めは美波が一人で行っていたが今では一緒に行くようになった、実際に足を運ばないと献立が決まらないからだ。
と言っても大抵は鉄板焼きで肉や野菜を焼いたり、お好み焼きをしたりと野球観戦しながら楽しめるメニューが続いた、ビールのつまみにもなるので僕としてはありがたい。野球が終わるとやっと彼女は家に帰る。
「また明日ねー」
美波がいなくなり一人になった瞬間に部屋は呼吸を忘れたかの様に静かになる、こんなに広い部屋だったろうか、空間認識能力まで狂わされてきた。
非常にまずい――。
最近考えているのは常にそれだった、自分の中に芽生え始めた感情が何なのか分からないほど人生経験がない訳じゃない、しかし、だからと言ってどうする事もできない自分の気持ちを簡単に整理出来るほど大人でもなかった。
二十八歳とはなんだろう、考えてみると絶妙な年齢ではないか。中年、おじさんと形容するには若い気がする、かと言ってお兄さんと呼ぶのも憚られる。まあ何にせよ十一歳も年下の女子高生に恋心を抱いたかもしれないなんて事は墓の下まで持ち込むしかないだろう。
アレクサに表示された日付を確認した、八月十日。
『九月一日に死ぬんだ』
あの話を敢えて持ち出さないように注意している訳じゃない、基本的に僕達の会話は「野球」「勉強」「献立」に集約されていた。
本気なのだろうか――。
いつも明るい美波の笑顔からは死を連想することができなかった、しかしこのまま時の流れに身を任せる訳にはいかない。万が一本気ならば全力で止めなければならないだろう。夢と希望に満ちた十七歳が自殺などあってはならない。
思い立った所でパソコンを開いて『自殺 人数 年間』と検索する、驚愕の数字に目を見開いた。
『22,535人』
確か交通事故の死亡者が年間三千人くらいだと、以前ニュースで報じられていたが圧倒的に自殺者のほうが多い、ざっと頭で計算する、一ヶ月で千八百人、一日六十人。
「嘘だろ……」
思わず声に出して呟いていた、一日に六十人もの人間が日本全国津々浦々で自殺しているというのか、冗談じゃない。明日の食事に困ることもなく、贅沢を言わなければ仕事にもありつける、蛇口を捻れば水がでて、スイッチを押せば電気がつく、何の不自由もなく生活できる日本国で何故にこんなにも自殺者が多いのか、まったく理解出来なかった。
死にたい奴は勝手に死ねばいい、人に迷惑をかける人間より数段マシだ、それは否定でも肯定でもなく、腹が減ったら食べれば良いといった感覚だった。しかしこの考えは『パンが無ければお菓子を食べれば良いじゃない』と言ったマリー・アントワネットの如く世間の理を全く理解していない愚かな考えだったのだろうか。
『10代 自殺 原因』パソコンを叩いて検索すると、およそ半分が学校問題、続いて家庭問題、少し少ないが健康問題が主な原因として上げられていた。自分が十代の頃を思い出す、確かに苦い経験をした思い出はあるが自殺をしようなんて考えは爪の先ほどもなかった、当然周りにもそんな連中は存在しなかったしドラマや小説の中の出来事として認識していたきらいがある。
しかし現実には一日に六十人もの人間が、この世に絶望、または生きていく事が億劫になり自ら命を絶っているのだ。その一人が美波だとしても何ら不思議はなく、むしろ年の離れた男に突然近づいてきて、夏休みという高校生にとっての一大イベントを毎日一緒に過ごしていると言うのは既存の概念からすれば逸脱していて、美波が自殺をする信憑性が高くなったような気さえしていた。
なにか大きな悩みを抱えている――。
それが学校の問題なのか、家庭の問題なのか、皆目検討が付かなかったがなんとしてでも本人に聞き出して解決しなければならない、おそらく彼女が自殺を思索している事を知っているのは自分だけなのだから。
十代の自殺の理由で半数を占めている学校問題について考えてみる、勉強が追いつかない等の理由よりは、やはりイジメが殆どなのではないか、特に女子のイジメは陰湿を極める。例えば男子の場合イケメンがイジメに合うという事例は少ないように感じる。実際に自分が学生時代にイジメの対象になっている人物は根暗で陰鬱、ぱっとしない外見の人間が殆どだった。これには頷ける部分が大いにある、不細工が二枚目をイジメていたら傍から見てさぞや滑稽に映るだろう。本能的にそんな事をすれば自分が惨めになる事が分かっているのだ。しかしこれは女子には当てはまらない、クラスの中心になるような女は大概が中の下、まあ良くて中といった所か。エビデンスはないが実体験で感じた感覚だ、そしてイジメの対象になるのは男子とは違い美女であることもしばしばある、その理由としては誰々の彼氏に色目を使っただの、かわいこぶっているだの、自分たちを馬鹿にしているだの、全くもって当事者の被害妄想以外なにものでもない理由で仲間外れにしたりするのだ。
実際の理由は明白だ、中高生くらいになれば自分の容姿がどの程度か、伸びしろはあるのか、そんな事におおよその検討が付いてくる、才能、ギフト、努力ではどうすることも出来ない壁にあたった彼女たちの怒りの矛先は、労せずして美しさを手に入れた美波のような人間に向けられる。バカバカしいが本人たちは至って真面目で相手を陥れる為の道理をあれこれと考え出して、ついには自分たちこそが正義だと脳内変換される。
美波が学校で小汚いニキビ顔の女生徒に、恥も外聞もなく迫害されている姿を思うと腸が煮えくり返りそうになった、怒りが沸点に達する前に、コレは自分の妄想で美波が学校で虐められているとはまだ決まっていない事に思い至る。
次に家庭の問題か、例えば親は小さい頃に離婚、母親が再婚した相手は最初の頃こそ優しくていい父親を演じていたが、美波が成長して美しくなってくるにつれ、彼女を性の対象として意識していく、ある日、母親が留守なのを良いことに美波の寝ている寝室に忍び込むとベットに入り悪戯をする、怖くて声も出せない美波は――。
そこまで考えて会った事もない空想上の美波の父親に殺意を覚えた、近くにあったゴミ箱を蹴っ飛ばす寸前でなんとか耐える。
あれこれと考えを巡らせても仕方がない、真相は本人に直接問いかけるしかないだろう、その為にはゆっくりと会話ができる時間が必要だ、しかし、その方法を画策しているうちにいつの間にか眠りについていた。
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