癒えない傷

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「葛城長官!ささっ、どうぞこちらへ!」 「瀬良さんもお疲れ様です!美桜さんもどうぞこちらへ」  同僚達が慌ただしく三人を迎える為の席を用意してぺこぺこと腰を折る様を前に、私は真っ白になって立ち尽くしていた。  なんで────。  なんで瀬良先輩が。  愛知県警本部のニ課長をやっているのでは───?  その時、グイっと腕を引かれた。  顔を見なくてもそれが誰なのか分かった。既にこんな風に強引に腕を引かれるのが日常となっていた、御子柴の手ー・・。 「お忙しいところわざわざ御足労頂き誠にありがとうございます、葛城長官。それに───瀬良先輩」  御子柴が挨拶して頭を下げたのに慌てて合わせる。井口課長が落ち着かない様子で間を取り持とうと手を揉んでやって来たのが見えた。 「いやいや長官!こんな奴らの為にわざわざありがとうございます!」 「いや、警察庁内の幹部同士、めでたいじゃないか。聞けば瀬良君とも大学からの付き合いだと言うし、これからの警察庁を是非盛り上げて貰いたいものだね。おめでとう御子柴君、若林君」 「ありがとうございます・・」 「瀬良警視は愛知県警に赴任中では?」 「来月から警察庁本部の課長ポストが空いたのでね。呼び戻すつもりなんだ。それに合わせて美桜も復職する予定でね」 「そうですかぁ、またよろしくね瀬良君、美桜さん!」 「はい、井口課長もお変わり無い様で」  会話が進んで行くその側で、心の中は動揺でぐちゃぐちゃだった。だから頭を下げたきり黙って下を向いていた。瀬良先輩が隣の警察庁本部に戻ってくるなんて・・また度々、この人の姿を見かける事になるのだろうか。  あの頃────大学で瀬良先輩の姿を見つけるたびに、胸が高鳴っていた。  一目見てすぐに恋に堕ちて・・それからはいつでも、この人の姿を探していた。なんとか話しかけて挨拶を交わす様になって、瀬良先輩が私と同じ警察庁志望なのだと聞いたときは嬉しかったな。  国家公務員総合職試験のポイントとか受験にあたっての相談とかしまくって、それを口実に勉強を教えて貰う事になって、毎日ドキドキしっぱなしで。でも試験に合格した瀬良先輩は大学にあまり顔を見せなくなる事が分かって、落ち込んでいたときだった。 『これからも若林さんに会いたいから・・僕と付き合ってくれないか』  そう言われたときは、信じられなくて確かその場で号泣したんだっけ。  私の人生で一番光輝いていたあの頃。甘く切ないときめきは今もなお、私の心に強烈な残滓を残している。青春の全てを捧げた・・大好きだったこの人の笑顔と共に────。 「・・勇ちゃん、おめでとう。良かったね」  はっとして過去の青春から意識を戻した私は、顔をあげた。私に声をかけたその美しい人は、無垢な笑顔で私に優しく微笑みを向けていた。葛城長官の娘・・そして4年前に瀬良先輩と結婚した、警察庁の花───。 「美桜さん・・」  自分はどんな顔をしていただろう。  隣に立つだけで劣等感を感じさせる、華奢な身体と圧倒的な美貌。私を捨てた元恋人の、完璧な奥さん。  「・・わざわざありがとうございます」  私が頭を下げると、その人は華が芽吹くような艶やかな笑顔を見せた。  過去の傷が痛むのを感じて、逃げだしたくなった。だから私は欲望のまま、トイレへと駆け込んだ。とりあえず気持ちを落ち着かせよう、そう思ったのに・・。 「あ。勇ちゃん」  トイレから出ると、鏡の前に立つ美桜さんが居たので私は顔色を青ざめさせた。
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