1章、18歳と22歳

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四話  咲耶に吏嗣。最後に会った時とは違う呼び方。  私に僕。これも、最後に会った時とは違う一人称。  四年前とは何もかもが違う。それでも、咲耶の手は小刻みに震えている。吏嗣には見られないようにぎゅっと力を入れて握りしめ、テーブルの下に隠す。 「前はマスクすんのあんなに嫌がってたのに、花粉飛んでなくてもするようになったのはどんな理由?」 「この村の空気を吸いたくないの。あんたらと同じ空気を肺に入れたくない」 「マスクしても変わらないと思うけど」 「気の持ちよう」  目線を逸らしたら負けだ。二人して同じことを思っているものだから、ずっと互いの顔を見つめるしかない。吏嗣がどう思っているか咲耶にはわからないが、咲耶は今すぐにでも吏嗣から目線を外したい。すぐに部屋から出たい。  あの顔を見てたら、四年前のことを思い出してしまう。声を聞いただけで思い出してたのに、こんなに見つめ合っていたら、もっと鮮明に思い出してまう。  何とか思考を止めないと。咲耶は違うことに意識を向けることにした。  吏嗣の顔の特徴を文章にしてみよう。文章を考えてたら、余計なことは考えなくて済むはず。  吏嗣のくせ毛は相変わらずだが、四年前よりカールは緩やかになっている。耳下で切りそろえられた毛先は色んな所に向いているが、ぼさぼさしているという印象は抱かせない。右耳に髪をかけて、前髪も含めて左側に流している。  大学生のはずなのに、相変わらずの黒髪。認めたくはないが、カール部分には艶がある。染めたらその艶は消えてしまうだろう。  眉毛は手入れされた並行に近いアーチ形。眉を描いてないからか、自然な清潔感がある。  目は四年前から何も変わらない。三重は気だるげに見える時もあるし、三白眼は何を考えてるのかわからないと思わせることもあるが、吏嗣が纏っている優しげな雰囲気でそう思わせることは少ない。  今の吏嗣には優しい雰囲気など全くないから、また違う印象を与える。  あぁ、でも。私も吏嗣も顔以外にいい所なんて一つだってないのにどうして。咲耶は四年前の吏嗣の顔にはなかったものが気に食わない。 「全く、じじいも間の悪い時に死んでくれたよな」  それに関しては激しく同感できる。咲耶はそう思っても、顔には出さないし返事もしない。 「もう少し早かったら、例えば七月上旬とか中旬だったら授業を理由に帰らなくて済んだかもしれない」 「でも、吏嗣はそれじゃダメなんじゃない?」  咲耶は子供のような純粋な笑顔を意識して顔に貼り付ける。あの時と同じ言葉。咲耶の上に覆い被さる吏嗣に言った言葉。 「村から離れてるんだ、なんとでも嘘はつける。お前も同じこと考えてんだろ?」  会話は続かないものの、咲耶も吏嗣も目線を動かそうとしない。  この最悪な状況はいつになったら終わるんだ。隕石でも落ちて来てほしい。咲耶は有り得もしない想像に縋ることぐらいしかできない。 「セーラー服似合わないな」 「身長高いと似合う服限られて大変そうだよな」 「その髪の長さで姫カットって地雷系に憧れてんの? ぱっつんの厚め前髪作れば完璧地雷系になれるな。センター分けじゃなくて前髪作れば? お前はなんでも似合うってちっこい頃からことあるごとに自慢してたんだからさ」  無視、無視、全部無視。返事をする気はない。  吏嗣が咲耶に投げかける言葉は全て敵意が含まれてる。言葉の全てに棘がついており、その棘で咲耶傷付けてぼろぼろにするのが目的とひしひしと伝わってくる。  今更吏嗣に何を言われても咲耶が傷付くことはない。一度はレイプされ、それと同時に殺されかけたのだ。言葉での攻撃なんてなんになるというのだろう。 「そのメガネ、かっこいいと思ってかけてんの?」  傷付かないと言いつつ、言われっぱなしでいられるほど大人しい咲耶ではない。吏嗣が黙って少し経ってから、咲耶の攻撃が始まる。 「韓国アイドルみたいなその細いフレームの丸メガネ、最初面白くて思わず笑っちゃった」  吏嗣が言った地雷系も咲耶の言った韓国アイドルも、その言葉自体には特に何も思ってない。その人が好きなようにすればいいと普段は思ってる。  だが、互いにその言葉を向けた時は悪意しかこもってない。お前には似合わない。その意味を込めて棘を仕込んでいる。 「吏嗣が唯一誇れるその顔の良さを殺してるけど、そのことに気付いてる?」 「咲耶も唯一誇れるその綺麗な顔をマスクで隠して殺してるけど、それはいいわけ?」  貼り付けたみたいな笑顔を互いに向けて、目を話そうとしない。何も話そうとしない、目線を外そうともしない。  いつまでも続くかと思われた地獄のような状況を終わらせたのは吏嗣だ。 「……はぁ、ガキにつき合うのも疲れた」  ため息と同時に目を閉じる。咲耶は勝ったと思うよりも先に、やっとかと吏嗣と同様にため息をこぼす。  そしてすぐに、勝った者の特権を使わなければ。四年前のあの時のことを攻撃しなくては。咲耶はすぐに思考を巡らせて攻撃を始める。 「吏嗣が、もしまだ女をレイプしていたとして。どういう感情なの? ただの八つ当たりで女を攻撃して気は紛れるの?」  咲耶が吏嗣を攻撃できる素材は四年前のあの出来事だけ。一つしかなくて弱いとも言えるが、その一つはとてつもなく強大な武器になる。  吏嗣が誰にも知られてはいけない、吏嗣の立場では許されない事実を咲耶だけは知ってる。 「四年前はすぐにでも言いふらしてやろうと思ってたけど、今思えば言わなくて良かったと思ってる」  もし言いふらしていたら、吏嗣はこの村の人から、親戚たちから直接的な非難はされなくとも、今のような態度では向い入れられないだろう。  腫れ物を見る目で、普通ではないという目で、目を覚ましなさいという目で、蔑まれていただろう。  でも、咲耶にとってはそれよりも今この状況の方が好都合。咲耶だけが吏嗣の秘密を知ってる。それはつまり、吏嗣を脅すことができるということ。いざと言う時に、その秘密を使えると言うこと。 「結婚して子供を作る義務を生まれ持ってる本家の人間が、女に興味がない、同性愛者だなんてね」  咲耶は吏嗣を見つめるが、吏嗣は咲耶と目を合わせようとしない。 「四年前のこと、最初から最後まで全部覚えてる。吏嗣に何をされたか、何を言ったか言われたか。隅から隅まで全部」 「だったら?」  やっと目を合わせた吏嗣は興味のなさそうな返事をする。ただ、それだけ。
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