ロリニアの森で

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ロリニアの森で

 木が焼ける臭いがする。魔術で焼いたのではない、人力でわざわざ(おこ)した火で焼いた臭いだ。 「バカな。なんのために!」  ここは、国家の東に位置するロリニアの森の一角。高湿な地域であるロリニアでは、山火事など起こり得るはずがない。加えて森の中に人家はないため、常日頃から人間とは無縁だ。ロリニアの森は、適度よりもわずかに高い湿度を保つ穏やかで静かな森なのである。  エリクは顔つき険しく、地盤のぬかるみを強く蹴り出した。背の高い原生林を掻き分け、焼ける臭いがより強い方向へと駆ける。時折顔を上げ、木々の合間から見える狼煙(のろし)のような黒煙を確認し、そちらへと進んでいく。辺りは未だ薄暗い。陽はとうに昇っているというのに、茂る原生林が遮光の役割をしている。 「ウソだろ……やめてくれ。この方向は……ッ!」  焼ける臭いが強くなるにつれ、吐き気が迫り上がってくる。かろうじて衣服で鼻を覆うことでそれは回避できるが、不快感や憎悪、嫌悪、困惑や焦燥の表情までは覆えない。  若い頃よりも、身体は確実に衰えた。ゼエゼエハアハアと荒くなる息と、ぬかるみに取られる脚。それらの疲労によって重たくなっていく全身のせいで思うような速さが出ない。エリクは歯痒さと苛立ちを蓄積させる。 「クソッ、このままじゃ森小人(ニングル)の集落が……!」  ふと原生林が途切れ、開けた場所に出た。そこはエリクもよく知る小さな小さな集落で、しかし普段と違うのはいたるところでパチパチと火の粉が弾けていることだった。 「なっ……なんてことだ」  エリクが想像していた『最悪』に近い――冷静に観察するとそれを悠に超えたが、生命という生命を滅した空気と光景を突きつけられ、文字どおり頭が真っ白になった。怖気(おぞけ)に足が(すく)み、一気に体温が下がる。  国家許諾保持者しか立ち入りできない国定保護区を焼いてなにになる? 誰が得をする? それが脳裏に過ぎったところで、エリクはハッと我に返った。 「村長(むらおさ)……(コロクル)ッ!」  村長の安全を確認することが、まず初めにやらねばならないことだろう――エリクは、未だ火の粉が弾ける村の細道を駆ける。  村の家々は小さい。エリクの腰までの高さしかない。それほどまでにこの森小人(ニングル)という種族は小さく、また森の奥深くに潜んで暮らしている。  森小人(ニングル)は、人間よりも遥かに叡智に富んでいる。機械仕掛(メカニクス)を使わず、自然の恩恵を少しずつ賜り、その分だけお返ししながら生きているという慎ましやかな種族だ。人間はじめ他種族との交易はせず、自給自足を続けている。ゆえに他から恨みを買うなどありえない。まして村を焼かれるなど歴史上なかったことだ。  エリクが辿り着いた村長の家は、既に木炭と化していた。プスプスと火種の燻る音が小さく耳に届き、エリクは膝から崩れ落ちた。 「(コロクル)……コロクルッ! どこです、コロクル!」  構わず声を張り上げ、村長を呼んだ。しかし、応えはない。きっと……いや、想像せずともわかり得る。村長は、目の前の木炭の下敷きになっているのだろう。焦げた『誰か』の左足首が、エリクの呼びかけを絶望色に染める。 「クソ……許されてたまるか、こんなこと!」  村長の家の前でうずくまるエリク。火にまかれてなお湿気を含んだ地面を、四度、五度と殴りつける。そうしているうちに、右後ろの木炭と化した家がガラガラガラと崩れ、エリクは頭を上げた。小さなゴホゴホと咳き込む音が聴こえて、「焼いた奴らか?」と鬼神のごとき視線を向ける。 「en……sik、nure……」  顔や腕に火傷を負った森小人(ニングル)の子どもがそこから這い出てきた。 「ネポ!」 「う……。エ、エリ、ク?」  ネポと呼ばれた森小人(ニングル)の子どもは、森小人の名のとおり小さな姿をしている。人間の前腕ほどもない身長がために踏み潰さないともいえない。エリクはただちにネポへ駆け寄り、腕を伸べた。 「エリク、en-siknure……kotan ta、kotガホガホッ」  ネポは森小人(ニングル)の言葉を話しているが、それが助けを求める意味だということくらい想像せずともわかった。 「大丈夫だ、俺が来たからなっ! すぐ治療施設(ホスピル)に――」  ネポはエリクの左前腕に(すが)るように抱きつき、震える小さな唇をそこへ押し付けてきた。これは一見すると腕に噛みついたかのようだが、森小人(ニングル)の子どもが異種族と確実な会話をする方法のひとつなのである。それを知っていたエリクは、左腕を彼に委ね、胸や脳に直接響く『情報』を受け取っていく。 ――すべてを指示していたのは、男。王族の紋章が印されている白い手袋をしていた。以前村長(むらおさ)が持っていた王都の本で見たことがあったから、覚えていた。 「王族の、男?」 ――部下を八人、連れていた。八人で魔術を使って、まずは外に出ていた者を、次々に殺した。 「そいつら、魔術で死者を出したのかッ!」 ――父が『禁忌術』だって、そう言ってた。父は、村長を(かば)って、村長の家の前で死んだ。  エリクは息を呑んだ。  禁忌術とは、国定法で厳重に禁じられている複数の魔術のことである。それが元で四〇年前までに凄惨な紛争がいくつもあったことは、エリクでもはっきりと覚えている。  それらを王家がやすやすと破り『跳ね返り』もいとわず使用していた事実に、エリクは煮え立つ怒りで震えた。 ――ぼくらのように中に逃げていた者は、家を崩すことで轢死(れきし)させられた。残っていた村長と大人何人かで、奴らの禁忌術を阻止しようと、魔術で応戦したんだけど……森小人(ニングル)の魔力には敵わないと思ったらしく、崩した家を『人力で火を(おこ)して』、次々に燃やしていった。  人力で熾した火であれば、魔術痕が出るわけもないため、犯人特定に至る決定的証拠を残さずに済む。それをわかった上で奴らは火を熾し放ったのだと、エリクの回路が繋がった。 ――ねぇエリク。ぼく、このまま、この命を大地に還したい。 「ダメだ、お前は生き残った。治療すりゃまた元気になる! そしたら今度はお前が森小人(ニングル)の長になって、再建して、発展させていくんだ!」 ――もう、無理だよ。生き残ったのは、きっとぼくだけだ。ピアが、あっちで煙に巻かれているのを家の中から見た。だから、森小人(ニングル)の女の子は、もう……。  ピアという森小人(ニングル)の女の子は、ネポと仲が良かった。エリクはピアが紡いでくれた織物の首飾りをいまでも首にしている。ネポはエリクと同じ糸で耳飾りにしてもらっていた。  エリクは歯噛みし涙をこらえる。 ――それに、ぼく一人じゃ、ニングルは新たに生まれ得ない。残りのおよそ四百年、独りで生きていくことになる。耐えられそうにない。 「俺がいる! 四百年でも何百年でも一緒に生きてやるから、だから!」 ――エリク。人間は、およそ八〇年が限界だよ。エリクはその半分を超えたでしょう? 「けどよぉ、ネポォ……」  涙に揺れた声は、ネポの瞼を閉じさせた。 ――ありがとう、エリク。優しいひと。なんだか、とても眠い。ぼくも、みんなと同じように、大地へ還れるかな。  小さな唇が、それを最後にエリクの腕から離れる。フゥッと、まるで眠るように、ネポはエリクの腕の中で目を閉じ意識を失った。エリクの必死の呼びかけにも反応がない。  口元の無精髭に涙が染みて、それを右腕でグイグイと拭った。泣いていたって仕方がない。五〇目前のオヤジがベソベソ泣いてたまるか――エリクはネポを抱え、不格好に鼻を啜り、立ち上がった。 「誰か……誰か聴こえるか?! エリクだ、探求者(クエスタント)のエリクだ!」  ネポを抱え、村を歩み行く。パチパチと火の粉が弾ける音の隙間から声がしないか、物音がしないか、必死で神経を尖らせる。 「助けになるッ! エリクは森小人(ニングル)の救出に来たんだ!」  空いた片腕で、少し前まで家だったであろう木炭を除けていく。そこからは二体以上の焼けた死骸が出てくるので、そのたびにエリクはむせび泣くこととなった。身に付けているもので『誰か』とわかってしまうことも、エリクの精神的苦痛になる。 「頼む……頼むよ! 誰か返事をしてくれぇっ!」  痛烈な叫びは、無情にも森の湿気に溶けていく。  エリクは結局、ネポ以外の生存者を見つけることができなかった。         ◇  ロリニアの森からすぐ近くの治療施設(ホスピル)は、決して大きな施設ではない。それゆえ最低限の処置に留まったが、ネポは一命を取り留めた。  ネポは全身火傷、肋骨数か所と尾骶(びてい)骨の損傷があると診断された。一週間が経過したものの未だ意識が戻らない。ロリニアでは森小人(ニングル)専門の治療技師(ドクトール)がいないため、この先の治療をするには一〇日内に代替施設を見つけなければならなかった。  始めの五日間で、エリクは治療施設(ホスピル)と焼けた森小人(ニングル)の集落を行き来する日々を送った。片道四〇分はかかる。方法は徒歩のみ。国定保護区内で魔術の使用は禁じられているため、時間短縮の(すべ)はなかった。  集落に着くと、まず瓦礫から遺体を引き出し村長の家の前の広場に集めた。全部で三六体。むごい状態から比較的綺麗な状態まで様々に及んでいる。エリクにとっては、全員が顔見知りだった。 「ごめんな、みんな。みんなのやり方で弔ってやりたいんだけど、俺、みんなにそこ訊いとくの忘れちまってたんだ」  広場に穴を掘り、一人一人を治療施設(ホスピル)から貰ってきた古シーツに包み、丁寧に埋める。そうしているうちに、エリクはひとつわかり得た。  この森は湿地であるのに、村の近辺には溜まり水がないのである。ゆえに備蓄分では消火に至らなかったのではないかと覚った。いかに森小人(ニングル)が強靭な魔術力を持っていたとしても、禁忌術を受けながらでは消火しきれなかったのだろう。 「大地に還れる儀式、ちゃんと訊いときゃよかった……みんなのために使わなくちゃいけなくなるなんて、思いもしなくてよ」  人間の弔い方のひとつである土葬で、エリクは森小人(ニングル)の一族を見送った。  木炭と化した建材は、一箇所にまとめて積み上げた。すべてエリク独りで、そして人力で行った。 「問題は――」  土葬から医療施設(ホスピル)へ戻ると、陽はすっかり落ちていた。エリクは、ネポのベッドの横の椅子に腰かけ声を低く潜めひとりごちる。 「――東峰警邏(とうほうけいら)の連中がいつまで経っても森に入って来ねぇことだな」  各土地で事案発生の折には、各所警邏隊が動く決まりになっている。当然エリクは医療施設(ホスピル)に着いて間もなく、施設内から警邏隊へ通報している。なにも通報義務違反の罰則に恐れをなしているのではなく、保護区内を荒らされたことへの危険認知通達のためである。だのに、一週間が経過せども彼らは到着しない。本来であれば連絡授受より半日強で現場到着するのだから。  なにかがおかしい――エリクは顔面の険しさが戻らない日を幾日も過ごした。         ◇ 「それでそれで? エリクおじさまとネポはそのあとどうなったの?」  その幼い人間の女の子の訊ねるまなざしは、不安と期待の入り混じった色味をしていた。潜めている声は、エリクが「この話は内緒の内緒の内緒だからな」と釘を刺しておいたがためである。  ぬるくなってしまったコーヒーを一口より少なく含み、エリクは「そうだなぁ」と瞼を伏せて笑んだ。 「ネポはしばらくして一度だけ目を覚ましたんだが、結局大地へ還ったよ。森小人(ニングル)専門の治療技師(ドクトール)に最後まで出逢えなかったんだ」  幼い彼女はハッと息を呑んで、悲愴をあらわにした。慰めのつもりで、エリクは彼女のミルキーブロンドの髪をそっと撫でる。 「ネポが大地へ還ったことで、森小人(ニングル)という種族は途絶えた。もう、森小人(ニングル)を知ってんのは俺くらいしか残ってない」  なのに彼ら特有の儀式についてきちんと訊ききれなかったのだ、とエリクの背にのしかかった。 「だからエリクおじさまは探求者(クエスタント)をやってたの? それで絶滅危惧種族のことを書いて、こんなに詳しいご本にしていたの?」  幼い彼女のの無垢な問い。我に返り、にんまりと口角を上げるエリク。 「そうだぜぇ。アンジェリーナみたいに次の世の中を担う子どもたちに、こんな種族がいたんだぞってことを知っておいてほしいからなぁ」  幼い彼女――アンジェリーナは目尻に一粒残っていた涙を拭った。 「私、やっぱりたくさん学ばなくっちゃ。ただのんきに『次の国王だから』なんて思っていられないよね」  鼻腔で相槌をうちながら、ぬるいコーヒーをもう一口含む。 「私もエリクおじさまみたいに、この国のことたくさんわかっておかなくちゃ。もう森小人(ニングル)さんたちと同じことはおこさせないの」 「ありがとな。次期王陛下のそのお気持ちが、エリクおじさまにゃとっても嬉しいぜ」  アンジェリーナの幼き双眸(そうぼう)に宿る決意の炎に、エリクは一層の決心を密かに固める。 「じゃあ早くお勉強しなきゃ! エリクおじさまといるとついおしゃべりばっかりになっちゃう。わたし、学術も魔術もたっくさん勉強するよ!」 「わはは、ごめんごめん。じゃあ森小人(ニングル)のお話はこれで終わりにしねーとな。まじで秘密にしてくれよ、アンジェリーナ」 「もちろんっ。エリクおじさまとのお約束は絶対に破らないわ」  互いに悪い笑みをして、小さく吹き出し合ってカラカラと笑う。 「では――」  低い声色のエリク。 「――右手を出して、アンジェリーナ」 「はい」  それを合図に二人は笑みを消し、椅子に座したまま向かい合う。 「『保護魔術を、アンジェリーナ=キングスリーへ施さん』」  幼き手を左手で掬い取り、右手で蓋をする。深呼吸の後に揃って瞼を伏せ、エリクは小さく願いを織り交ぜた『術式』を唱えゆく。  これは保護魔術――いかなるときも禁忌術に負けぬ強靭な保護を、次期王陛下アンジェリーナ=キングスリーへ施すための術。  他者に捻じ曲げられぬ信念をいだき、内から湧く正義によって確実に悪を打ち砕く(ほこ)となるように。  いかなる理由があれど惑わず、どんなに巨大な組織であれど怯まず、敢然(かんぜん)と立ち向かう盾となるように。  王家血縁を護るために施すのではない。エリクは、一種族を根絶やした王族の『誰か』を明らかにするため、無垢なる王家の子どもの魂にある種の『呪詛(じゅそ)』をかけているのだ。  王家の内側から『歴史の真実として』暴いてもらうために。そうすることで、弱りきったみずからを奮い立たせるために。 「よし、終わりだ。アンジェリーナ、目を開けて」 「はい」  開眼のアンジェリーナの目の色が先程よりも淡くなっていることを確認し、エリクはそっと笑む。 「大丈夫だな、よし。保護術はこれでおしまい。じゃあ今日はここから歴史学者(ヒストリアン)のエリクとして、アンジェリーナの家庭教師を務めますよ」 「はいっ、お願いしますセンセー!」  いつか――それから一〇年もしないうちに、アンジェリーナは王都を出る。王族の内部で暗躍する『何か』に気が付いたとき、エリクが何年もの時間を費やし彼女へかけた保護魔術がようやく効いてくるのである。  アンジェリーナは禁忌術の専門家に出逢うべく旅をする。その旅は、いわばエリクが仕掛けたと考えて相違ない。エリクはそうして、間接的復讐を密かに緻密に企てていた。  ロリニアの森にはもう、森小人(ニングル)は戻らないというのに。                         終
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