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1-16神様に祈る
「ぼ、僕はフェーダー。く、薬を盗んだのは僕なんです」
「ええっと、フェーダーくん? どうしてそんなことしたんだい?」
「か、母ちゃんがずっと病気で、え、エルフの薬を飲んだら良くなると思って」
「それで薬を全部使ってしまったのかい?」
「う、うん、母ちゃんに全部飲んで貰ったんだ。そ、そしたらもう3日も眠ったまま起きてこないんだ。く、薬を盗んでごめんなさい、で、でもどうか母ちゃんを助けて……うぅ……」
どうしたものだろうか、これは困ったことになった。目の前で黒髪に赤い瞳をした、まだ10歳くらいの子供が泣きじゃくっている、でもこの子は泥棒だから犯罪者になるわけだ。それに薬を飲んだ人間である母親も心配だった、何の病気なのかは分からないが、エルフが作った薬でも眠り薬で治るわけがない。それどころか3本も飲めば悪化させてしまう、たかが眠り薬でも沢山飲めば死んでしまうこともあるのだ。
僕は宿屋の主人と相談した、そうしてフェーダーを連れていく許可をもらった。それから一度借りている部屋に戻って荷物の中から別の薬を持ち出した、それは強力な気つけ薬で独特の匂いから魔物避けの効果もあるものだった。
「フェーダー、君を後で警備隊に引き渡す。けれどまずは君のお母さんのところまで、今すぐに連れていってくれ」
「そうです、今すぐにリタ様を連れて行くのです!!」
「わ、分かった。ほ、本当にごめんなさい」
僕はソアンとまずはフェーダーの家に行ってみた、そこは街の中の一軒のパン屋だった。二階にある住居の一室ではフェーダーそっくりの女性が眠っていた、僕は彼女を様子をみてみたが呼吸が浅く息を吸う回数が少ない、明らかに僕の作った眠り薬が悪い影響を与えていた。
僕は宿屋から持ってきた気つけ薬を女性の鼻に近づけた、彼女はその強い匂いに眉をしかめた。そしてしばらくすると呼吸が早くなってきて、それから半刻も経たないうちに彼女はどうにか目を覚ました。僕はフェーダーの母親が目を覚ましてようやく安心した、僕が作った薬で人が死んだら激しい罪悪感がうまれるだろうからだ。
「うわあああぁぁぁん、母ちゃん――!!」
「えっ、フェーダー? まぁ、一体どうしたの?」
感動的な親子の再会だったが問題が山積みだった、フェーダーの母親が完全に目を覚ましてから、フェーダーはその身柄を警備隊に引き渡された。まだ10歳ほどの子どもとはいえ盗みを働いたのだ、一応は警備隊に届け出ないわけにはいかなかった。フェーダーの母親はフェンという名前だったが、今度は静かに泣きながら我が子を警備隊に渡した。僕はフェーダーがどうなるのか気になって、警備隊の人にそのことを聞いてみた。
「まだ子どもだからなぁ、投獄は避けられると思う、他に何もしていなければだけどな。今回のことできっちり悪いことをしたと、そう自覚を持ってもらわないといけないからなぁ」
「そうですか、それならばいいのですが、あの子があまり重い罪にならないことを望みます」
「リタ様はお人好しです、そこも良いのですがあんまり同情なさらないでください」
ソアンに同情しないようにと言われたがそれから僕はなんとなく落ち込んだ、警備隊にあの子を引き渡さずにすませたかったが、宿屋の主人はそれを望まなかった。確かに宿屋からしてみれば泥棒など出ると困ったことになる、あの宿屋には泥棒が出るらしいなどと、そんな噂が街に広がったら宿屋にとっては大きな損失になっていたはずだ。でもまだ泥棒をしたのは10歳ほどの子どもだ、それに病気の母親のためにしたことだった。守らなければならない正義と子どものことを思いやる感情、それらに挟まれて僕はまた思い悩んだ。
「リタ様、どんな理由があったとしても泥棒は泥棒です。それに自首したことで軽い罰で済むかもしれません、だからもうそんなに気になさらないでください」
「うん、ソアン。確かに警備隊の対応は間違っていないと思うんだが、相手が子どもなだけにどうにも気が重くなってね」
「確かに何度も罪を犯していれば別ですが、多分ですが初犯です。それに犯人は子どもだったんですから、そんなに重い罪にはならないでしょう」
「そうだね、そうだといいね。どんな事情があっても盗みはいけないことだ、でも正義というものはその立場で変わってくる、フェーダーにとっては盗んでも薬を手に入れることが大切だったんだろう」
「それにリタ様、忠告をします。フェーダーさんの母親のフェンさん、彼女を無償で助けようとしてはいけません!! もし助けるのなら相応の対価をいただくべきです!!」
「ああ、それは僕にも分かっているよ。……プルエールの森にいた時に人間の商人に言われたんだ、対価を無しに人助けをすると、逆にその自分にとって良くないことになるってね」
対価を得ることなく人助けをする、一見すると美談かもしれないが、それは相応の身分である人がすることだ。僕がフェーダーの母親を無償で助けたとする、すると他にも病気の人間たちが同じように治してくれ、そう簡単に言ってくることになるだろう。そうなっては僕の手にはとても負えなくなる、それに眠り薬くらいならば簡単な錬金術の道具で作れるが、フェーダーの母親はもっと重い病気を患っているようだった。
「軽くみただけだったが、体の中に恐らく悪くなった部分がある、その部分を外科的に切除するか。それか上級魔法の回復でしか治らないだろう、魔法が使えない今の僕には手に負えない話だな」
「それはフェーダーさんに同情しますが、リタ様にもどうにもできないことです、偶々巡りあわせが悪かったのでしょう」
「…………僕が魔法を使えたら、まだ良かったんだけどね」
「いいんです!! リタ様が無理をして魔法を使う必要はありません!!」
「使いたくても使えないよ、もうどうやって使っていたのか忘れそうだ」
「今は魔法のことを忘れていてください、いつかどうしても必要になったら、そうしたら使えるようになるかもしれません」
僕たちがフェーダーやその母親にできることは何もない、そう結論づけて僕たちは日常に戻っていった。そうまたしても何日か僕は朝から夕方まで寝込んでしまったりした、でも朝から動ける日には冒険者ギルドで仕事を探したりもした。そうして二週間ほどが過ぎたある日、僕たちは今日はどう過ごすのか悩んでいた。
「うーん、薬草採取以外に僕たちに出来る仕事は何だろう」
「そうですね、ええと。あっ、これなんてどうでしょう」
「神殿の掃除の手伝い、こんな変わった仕事もあるんだね」
「もうすく建国祭ですから、きっとそれで神殿も大変なんでしょう」
「それじゃ、受けてみようか。ちょうど神殿の中も見たいと思ってたんだ」
「はい、分かりました。それでは手続きして、神殿に行きましょう!!」
僕たちは冒険者ギルドで依頼を受ける手続きをして、それからこのゼーエンの街の神殿に出かけていった。そこには同じく依頼を受けた、銅の冒険者たちが集まっていた。皆で忙しそうに柱を布で拭いたり、庭木を切って整えたりしていた。僕たちもその中に加わった、ソアンとも別行動になった。僕は荘厳な神殿の一角を掃除しながら、色々と内部を見てまわることができた。
「この文字はどこかで見た、古代文字だな。確か……、そう最近だ。一体どこで見たんだっけ?」
神殿の壁には見事な彫刻が飾ってあって、その土台に古代文字が刻まれていた。そういえばフォシルのダンジョンの行き止まりで、こんな文字を見たことを思い出した。ヴァン達と初めてダンジョンに行った時のことだ、行き止まりだと分かるとろくに観察もせずに引き返していたが、そこにこんな文字があったような気がした。僕がそんなことを考えていられたのもほんの少しの間だけで、あとは真面目にしっかりと広い神殿の掃除をしていった。
そんなふうに仕事をしていたら参拝客の一人に目が止まった、それはフェーダーだったので僕はとても驚いたのだけれど、当然ながら声はかけられずに僕は咄嗟に身を隠した。久しぶりに見たフェーダーは右の手を手首から失っていた、一体どうしたのかもし初犯だったなら重い罪にはならないはずだった。フェーダーが盗みを働いたのは初めてじゃなかったのだろう、盗みを働く者の手を切り落とす刑罰があると聞いたが、実際にそれを見たのは僕は初めてだった。
「神様のくそったれ、役立たず。なぁ、母ちゃん。このまま僕は生きていたくない。右手を切り落とされて、……もう母ちゃんもいなくなったのにさ」
フェーダーは僕に気づかずにぼんやりとした瞳のままで神様をののしった、僕はエルフで耳の良さには自信があるが、それからとても聞きたくない言葉がフェーダーの口から零れた。
「ごめんよ、神様。どうか、どうか、僕に安らかなる死が訪れますように」
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