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3-7美しいボーイソプラノに感動する
「もしティスタさんに惚れちゃったら、最初に私に教えてくださいね。リタ様」
「そんなことがあるのかな? でももちろん大切な人ができたら、最初にソアンに教えるよ」
僕はまだ誰かを好きになるという感覚が分からなかった、ソアンのことは好きだと思うがこれは家族としての好意だ。ミーティアやジーニャスを好きだと思うが、これは友人に対する好意でしかなかった。そう僕はまだ恋というものを知らないのだ、我ながらのんびりとして250年あまりを過ごしてしまったものだ。
その間に僕は女性のエルフからモテなかった、ソアンが言うにはどうも僕は近寄りづらいところがあるようだ。親友のディルビオなどは僕とは逆にとてもモテていた、女性はもちろん男性からも好意をむけられて、何度か困ったと僕に相談にきたこともあったくらいだ。僕は彼の話を面白い物語のような気持ちで聞いていた、そんなふうに僕には恋とは遠い物語のようなものだった。
親友のディルビオも別に具体的な解決策が欲しかったわけじゃなく、ただ一人で悩まずに僕に話してスッキリしたいようで話していた。僕は故郷の親友を思い出して懐かしく思った、そうして恋とはどんなものなのだろうと想像してみた。誰かを好きになってその人のために生きる、それは素敵なことのように思えたが、やっぱり僕には上手く想像しきれなかった。だから、僕はソアンに率直に聞いてみた。
「ソアン、誰かを好きになるって楽しいかい」
「とても楽しいです、でも同時に苦しくもあります」
「そうなのか、僕の両親はいつも楽しそうだった」
「リタ様のご両親は両想いでしたから、片思いだと楽しいけど苦しいものですよ」
「ソアンの初恋が実るように祈るよ、僕にできることなら何でもするからね」
「えへへへっ、そんなふうに言われると、……とても複雑な気分になりますね」
ソアンは誰が好きなのか僕にまだ言う気がないようだった、好きかどうかも考え中だと言っていたから無理もないことだ。僕はソアンの初恋が実って幸せになれるように祈った、でも同時に家族としてはソアンが離れていってしまうようで悲しかった。僕もそんなふうに複雑な気分だった、どうしてそんな気分になるのかはまだ分からなかった。
その日は昼からエテルノのダンジョンに出かけた、僕たちは時間が限られていたから落ちている薬瓶を拾ったり、珍しい薬草を採取したりするだけにした。幸いにもデビルベアなどの大型の魔物には出会わなかった、デビルラビットが数匹こちらを攻撃してきたので、僕は近づかれたところを短剣の柄で殴ってしとめた。ソアンは大剣で豪快にぶん殴っていた、デビルラビットはそれでぺったんこになってしまった。
「今日は魔石だけとれればいいよ、ソアン」
「うぅ、どうもこんな小動物だと手加減が難しいです」
「魔石は無事のようだから大丈夫だよ」
「はい、リタ様。それは良かったです」
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
「また拾った薬瓶は冒険者ギルドで、『鑑定』して貰いましょう」
そんなふうに夕方になる前に僕たちはエテルノのダンジョンを出た、それから冒険者ギルドで薬瓶を『鑑定』して貰ったが、特に珍しいものはなかったので全て売ってしまった。そうして夜になる前に宿屋に帰ったのだが、宿屋の外でアウフが中にいるミーティアを覗き込むように立っていた。僕たちは彼のその大胆な行動に思わず呆れてしまったが、特に迷惑にもなっていないようなので見なかったことにした。
宿屋の中ではミーティアがいつものように歌っていた、今日は高めの声が綺麗に聞こえる少し古い伝説の曲を歌っていた。僕たちはその歌を聞きながら夕食をとった、そうしていたら珍しい客がきたと皆が騒ぎだした。だから端っこにあるいつもの席からその客を見てみたらイデアだった、美しいエルフである彼は周囲から浮いていて目立っていた。
彼はミーティアの歌を聞いていたが、ちょっと眉をひそめて不快そうな顔をしていた。ミーティアがそうして一曲歌い終わると、いきなりイデアがミーティアに向かってこう言った。
「高音が上手く出ていない、その曲ならもっと高音を生かすものだ」
「むっ、お客さん。そんなにいうんなら、歌ってみいや!!」
ミーティアのいつもの悪い癖が出た、彼女の歌に対して誰かに悪く言われると、もう黙っていられないという癖だ。周囲の客もミーティアのファンが多かったから、その歌に文句を言ったイデアに対して、それなら歌ってみろとはやしたてた。この場合は客であるイデアを受け流せなかったミーティアが悪い、そして周囲の皆も面白がってはやしたてたりしてはいけなかった。
「簡単だ、こうやってこの曲は歌うんだ」
だがイデアはそんな周囲の圧力をなんとも思わず、ミーティアが歌っていた高音が続く曲を歌いだした。それは見事なボーイソプラノだった、思春期の声変わりをする前の男の子だけが出せる声だった。僕はその声の美しさと素晴らしい歌唱力に驚き感動した、ミーティアも同じだったみたいで彼に文句を言われたことも忘れて聞き入っていた。
イデアの歌声にはそれだけの力があった、彼はとても素晴らしい声で一曲を歌い終わると、何事もなかったかのように座る席を探し始めた。
「イデア、こっちに来ないかい」
「イデアさん、こちらです」
キョロキョロしているイデアに僕とソアンが声をかけた、イデアは僕たちの姿に気づくとぱぁっと明るい笑顔になって、嬉しそうに僕たちがいる隅っこの席にやってきた。そうしてからイデアは夕食を注文していた、イデアの普段の声は少し低くなっているのに、歌っている時は見事なボーイソプラノを出せることに僕は驚いていた。
そして僕は少しの間に何か大事なことを思い出しそうになった、でもどうしても思い出すことができなかった。とりあえず僕とソアンはイデアに誉め言葉をかけて、それからいろいろと話をすることになった。
「とっても綺麗な歌声でした、イデアさん」
「イデア、君はもう声変わりの時期なんじゃないのかい。でも、素晴らしいボーイソプラノだった」
「そうなんだが、まだボーイソプラノで歌える。きっともう少しでこの声は出なくなる」
「勿体ないですけど、それだけ大人になるってことですね」
「僕はもうあんなボーイソプラノでは歌えない、男の子ならではの本当に今だけ出せる幻の歌声だ」
「そんなに褒められると嬉しい、歌っている時は何も考えなくていいから、だから歌うのは好きなんだ」
「私は歌は上手くないので、正直に言って羨ましいです」
「僕も歌うのはとても楽しい、いつか君と一緒に歌ってみたいな」
「ソアンの歌もぜひ聞いてみたい、リタは歌うのが好きなのか。それは幸せなことだし、リタの歌も聞いてみたい」
イデアはそのまま僕たちとお喋りしながら夕食をとった、ついでにこの宿屋に部屋も借りることにしていた。まだ街にきて間もなくて、いろんな宿屋を試しているとイデアは言っていた。僕たちはもう長いことこの宿屋に泊まっていた、食事が美味しいのとミーティアに会うのに便利だったからだ。イデアはミーティアの歌だけは不満そうだった、せっかくの曲が台無しだと文句を言った。だから、僕は思わずイデアに謝った。
「ミーティアに音楽を教えているのは僕なんだ、不快に思ったのなら僕が謝るよ。彼女はまだ未熟な部分もあるけど、将来がある歌い手だよ」
「…………分かっている、あの女の素質は悪くない。たださっきの曲は俺のお気に入りなんだ」
「そうだったのか、自分の好きな曲だったから、だから我慢ができなかったんだね」
「子供っぽいことをしてしまった、あとであの歌い手にもきちんと謝ろう」
「そうしてくれると助かるよ、ミーティアにも君の美しいボーイソプラノ、あれはきっと衝撃だっただろうから」
「今だけ出せる声だからな、いつかは失われてしまうものだ」
そうして夜もふけてからミーティアがおそるおそる僕たちのところにやってきた、イデアはミーティアに無礼なふるまいをしてしまったと謝った。ミーティアはイデアに全く怒ってはおらず、むしろどうやったらあんなに美しく歌えるのかと聞いていた。ミーティアにそう聞かれてイデアは荷物の中からリュートを取り出した、そうしてまた美しいボーイソプラノを今度は演奏付きで聞かせてくれた。
イデアの歌を聞いているとまた思った、僕は何かが引っかかるような気がした。でもそれが何なのかは思い出せずに美しいボーイソプラノを堪能した、ミーティアはその声の出し方を真剣に見て聞いて覚えようとしていた。イデアの歌声はとても素晴らしかったが、リュートの音が少しだけ悪いように僕には聞こえたのでそう言った。イデアはその指摘に対して、何でもないことのようにこう言った。
「これは随分と古い物なんだ、そろそろ寿命なのかもしれない」
愛着のある楽器というのは手放しがたいものだ、僕も子どもの頃に使っていた最初のハープが壊れてしまった、その時はとても寂しい気持ちになったのを思い出した。イデアにもそのリュートは何か思い入れがあるものなのだろう、彼は弾き終わると大事そうに自分の楽器を抱きしめていた。ミーティアはすっかりイデアのファンになって、ここにいる間だけでいいからとこう言いだした。
「この宿にいる時だけでええねん、そのボーイソプラノをまた聞かせてや」
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