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3-9ティスタが告白する
「…………深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
「いきなりなんだい、ソアン。その言葉は一体どういうことを、何を表しているんだい」
「これは私の知っている有名な言葉で、連続殺人犯の心を推測する時の戒めです」
「人を連続して殺す者の心をのぞく時は、それはある意味で深淵という化け物を見て、それにこちらもその化け物に見られているということかな」
「リタ様、連続殺人犯の心なんて分かっても良い事はありません。そういうことは犯罪捜査を行う専門家に任せるべきです」
「生半可な気持ちで連続殺人犯に関わっても良い事はない、君は僕の心の負担を心配してそう言いたいんだね。ソアン」
確かにただでさえ僕は心の病気なのだ、そのうえ連続殺人犯の心の中など覗いたら、それは恐ろしいものを見るに違いなかった。人を何の理由でかは分からないが殺し続ける者だ、その心はどこか歪んで壊れてしまっているかもしれなかった。僕はソアンのとても心配そうな顔を見て、そうそうに連続殺人犯の心の中を推測するのは諦めた。
「できるだけその連続殺人犯には関わらないでおこう」
「はい、リタ様。それが良いと思います」
「でもソアン、美人が殺されるのなら、君も気をつけておくれ」
「えへへっ、私を美人って言ってくれるのは、そうリタ様くらいのものです」
「そうかな、まだ咲きかけた蕾だからかな。いつかきっと、ソアンは誰もが振り向く美人になるよ」
「そうでしょうか、そうなったら良いですね。そうしたらきっと自信を持って、好きな人に好きだと言えるかもしれません」
そう言ってソアンは僕に笑いかけた、僕は少しだけ苦笑してそんな彼女を見た。ソアンはきっと将来は綺麗で魅力的な女性になるはずだ、でもその時は彼女が伴侶を見つけて、僕とは離れ離れになる別れの時でもあるのだ。だからこの前から続いている複雑な気持ちがまた起こっていた、ソアンの成長を祝福したいのにそれが怖いという、相反する感情が僕の心の中ではせめぎあっていた。そんな僕にソアンはがらりと話題を変えて話しかけてきた。
「そういえばリタ様、私は大剣を手入れに出したいと思います」
「ああ、鍛冶屋さんで見て貰うんだね」
「それですみませんが、ティスタさんのところに頼んでいた服、それをとりに行ってもらえませんか」
「別に構わないけれどこんな時だ、ソアン。十分に注意して行動するんだよ」
「リタ様もです、表通りだけ歩いて裏路地には入らないでください」
「分かったよ、裏路地や知らない道は通らないようにする」
そこで僕とソアンは分かれて行動することにした、ソアンは父親の形見である大剣を大事に使っている、だが時々は本職である鍛冶屋に手入れをしてもらうことがあった。いつもなら僕も一緒に行っても良かったが、ソアンにおつかいを頼まれたから仕方がなかった。僕は表通りだけを歩きながら裁縫屋に向かった、そしてその入り口から声をかけると中にいたティスタが笑った、彼女は僕の顔を見て優しい笑顔で出迎えてくれた。
「ようこそ、リタさん。また会えて嬉しいわ」
「僕もですよ、ティスタさん」
そうしてティスタは花が咲いたような美しい笑顔のままで話をしてくれた、頼んでいた衣服や防具はどれも丁寧に直されていた。僕は新品になったような服たちを見て喜んだ、また両親が残してくれた服が着られるからだ。ティスタはそんな僕を見て微笑んでいた、僕は彼女のその優しい笑顔が好きになった。まるでソアンが大人になったように見えた、もしくは失ってしまった母の笑顔を思い出した。
ポエットは用事で出掛けているということで僕たちは少しお喋りをした、ティスタが話すことは何でもないことだったが、彼女が話すだけで何故か面白く聞こえた。僕は故郷であるプルエールの森を出てきたことや、心の病気にかかっていることまで何故か彼女になら話すことができた。いつもなら心の病気のことを話すのは抵抗を感じるのに、彼女にはどういうわけか話してもいいと思えたのだ。
「私も昔、お針子になったばかりの頃よ。沢山の仕事を引き受け過ぎて、仕事ができなくなったことがあったわ」
「…………そんなに辛いことがあったのか、それでどうやってまた仕事ができるようになったんだい?」
「ポエットとは親友なの、彼女が休めって言ってくれたから、思い切ってしばらくお休みしたのよ。そうしたら数か月で良くなったわ」
「心の病気になったらやっぱり休んだ方がいいんだね、それに君には良い友人がいてくれて助けてくれたのが良かったんだ」
「私もそう思うのよ、ポエットがもしいてくれなかったら、私はあのまま死んでいたかもしれないわ」
「僕も同じように思ったことがあるよ、僕にとっては養い子であるソアンだけど、彼女がもしいなかったら僕の命も危なかった」
僕はティスタも心の病気にかかったことがあると聞いて驚いた、でもそれでティスタを見る目が変わったりはしなかった。きっと心の病気は誰でもかかることがあるものなのだ、ティスタにはポエットという彼女のことが分かる理解者がいてくれた。僕にとってのソアンみたいなものだ、ソアンが村から僕を連れ出してくれなかったら、僕だって今頃は死んでいたかもしれなかった。
ふいにティスタがお喋りを止めて僕を見た、その綺麗な薄茶色の瞳はいつになく熱をもっていた。僕はそんな目をした者を初めて見た気がした、僕にそんな目をまっすぐ向ける者は今までいなかったからだ。ほんの少しだけ沈黙が続いたあとでティスタが僕に聞いてきた、僕はティスタが何を考えているか分からなかったがその質問に答えた。
「リタさんは恋人がいるの?」
「いや、いないよ」
「それじゃ、好きな人はどうかしら?」
「今のところそんな者もいないんだ」
「それじゃ、それじゃあね、リタさん……」
「うん、どうしたんだい?」
ティスタは顔をポッと赤くそめていた、その手は落ち着きなく自分の服をいじっていた。でもティスタはやがて正面からまっすぐに僕を見た、そして生まれて初めて僕は女性からこう言われた。
「私、リタさんが好きなの。貴方といる時間が幸せなの、だからできれば恋人になりたいわ」
「え、ええ!? 僕をティスタさんが!?」
「そうよ、人間がエルフを好きになるっておかしい?」
「いや、恋に落ちる時は落ちるものだから、全然おかしいことではないけれど」
「私の恋人になるのは嫌?」
「………………」
僕はティスタの言っていることに驚き過ぎて何も言えなかった、正直なところティスタが綺麗で良い人間だとは思っていた。でもそれが恋愛としての好意なのか、友人のとしての好意なのか、それが僕にもよく分からなかったのだ。しかし告白されたからには正直に答えなければならない、それが相手への礼儀であると僕はそう思っていた。
「ティスタ、僕は君を好きなのかどうかよく分からない」
「そう、じゃあ今から好きになって貰えないかしら」
「そ、そうできるかも分からない。君が友人として人間として、とても素敵な女性だとは思う」
「それなら、お試しで付き合って貰えない?」
「試しにつきあってみるってこと、友人ではなく恋人としてかい」
「やっぱり駄目かしら、私じゃリタさんの相手にならないかも」
僕は悲しそうな顔をするティスタを見て心が痛んだ、そうしてよく考えてみて試しにつきあってもいいか、恋人としてティスタに接してみていいかと自分の心に問いかけた。答えはできるかどうかわからないというものだった、でも僕はティスタという良い友人を失うのが嫌だった、だから僕はいつの間にかこう答えていた。
「友人からということなら……」
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