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3-15怪物になる夢を見る
「深淵にいる怪物か、確かに恐ろしいものを見ることになりそうだ」
僕はソアンが以前に言った言葉を思い出してそう言った。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。連続殺人犯の心を推測する時の戒めというのはよく分かった、確かに連続殺人犯は深く恐ろしい深淵にいる化け物なのかもしれなかった。そして、未だに声の事以外は連続殺人犯の、その性別も何も分かっていなかった。
「師匠、今夜は宿屋に泊まるわ。こんな夜中に家に一人で帰るのも危ないわ」
「そうだね、そうしたほうがいい」
「ミーティアさん、これからが大変ですね」
「はぁ~、もう言うてもうてもいいやろか。ソアンちゃん」
「一体、何の話だい?」
「はい、リタ様には言ってもいいと思います」
「実はな師匠、あたしつきおうとる男がおんねん」
「ミーティアには彼氏がいたのかい」
「ええ、同じパーティの方でいるんです」
ミーティアから宿屋の帰り道で話を聞くとこういうことだった、ミーティアは同じパーティの回復役である男性と付き合っていた。名前はセーロスという神官らしい、見た目は青い髪に同じ瞳をした青年だった。ミーティアと年も近くて20歳だということだった、けれどパーティの他の仲間と気まずくなるのが嫌で、ミーティアはセーロスと付き合っていることは隠していたのだ。
それにミーティアは吟遊詩人でもあった、恋人がいないほうが吟遊詩人は稼ぎやすいらしかった。だからそれもあってセーロスと付き合っていることは、音楽の師匠である僕にも秘密にしていたのだ。でもこれからはそうするわけにもいかない、単独での行動はとても危険だと分かったから、ミーティアは明日からはセーロスと一緒に酒場に来ると言っていた。
「一人やと狙われる恐れがあるけど、だからちゅうて家に閉じこもってもおられんわ」
「そうだね、でももうあの殺人鬼の歌は止めた方が良い」
「あの歌をどこかで聞いた方が犯人です、つまり私たちの身近に犯人がいるんです」
「うーん、店の中ならお客さんは把握しとるけど、外まで聞こえてるかもしれんからなぁ」
「ああ、よくアウフが君の歌を聞きにきている、外で歌を聞いた者が他にいるかもしれない」
「そんなストーカーもどきもいましたね、それでは犯人が絞り込めません」
「とにかくあの殺人鬼の歌は止めとくわ、あれが確かに原因なのかもしれん」
「それがいい、良い曲だったが。おそらく犯人からすれば、馬鹿にされたと感じる」
「元気の出る曲でしたけどね、犯人は怒っているんでしょう」
宿屋には深夜も遅くなって帰って宿屋の主人に少し小言を言われた、ミーティアはちゃっかり宿屋の主人にお願いして一人部屋を今日だけ借りていた。僕たちも十分に気をつけながら、裏庭で水浴びなどをすませて、部屋で一緒に眠ることにした。こんな時はベッドで一人きりで眠らないですむのが有難かった、ソアンの体温は僕を落ち着かせてくれて、ゆっくりと眠りに落ちることができた。
「………うぅ、………森が……燃える……」
だが僕はその夜は夢を見た、それは恐ろしい夢だった、プルエールの森が燃えていく夢だった。そうして仲間である大人のエルフが何故か人間たちに殺されていった、女性や子どものエルフは強制的に首輪をつけられて、大勢の人間たちから奴隷として無理矢理に連れていかれた。僕は夢の中で子供になっていた、だから僕も首輪を無理矢理につけられ、そして人間にどこかに連れていかれた。
嫌だ、怖い、痛い、苦しいと僕は泣き叫んでいた。僕はそのうちに奴隷になった仲間とも離されて一人になった、とても美しい貴族の夫婦が僕の主人になったようだった。主人である夫婦はとても残酷なことをした、泣き叫ぶ僕に刃物を向けて、そうして僕の体の一部を切り取ったのだ。それは僕の男性としての尊厳を踏みにじる行為だった、僕のエルフとしての矜持を傷つける酷いことだった。
僕は下半身につけられた傷痕が痛くてずっと泣き続けた、やがて傷痕が癒えてももう僕は元の僕ではなくなっていた。そう僕は男性とはもう言えなくなっていた、何故こんなに酷いことをするのかと悲しんだ。そうして泣き続けてしばらく経ったら、今度はこう言われるようになった。歌え、歌え、歌ってみせろ!!
そう言って人間の主人である夫婦は僕を責め立てた、僕は歌が大好きだったがもう歌えないと思った。だが主人である夫婦は歌えと迫る、無理矢理に口を開かされて歌わないなら、今度は喉を切り刻むと脅された。だから僕は怖くて歌った、無理矢理に声を出して歌った。今までは楽しく歌っていた曲を、今度は泣きながら歌い続けた。
主人である夫婦は笑った、その美しい顔と笑い声が僕の耳を離れなくなった。僕は叫ぶように歌い続けた、そうしてもまだ主人の美しい夫婦はこう言うのだ。歌え!! 歌え!! 歌い続けろ!!
「い、嫌だ!! もう、歌いたくない!!」
「むにゃ、リタ様? ふぁ~あ、どうかなさいましたか」
「ソアン!? ……ああ、夢だったのか」
「怖い夢でも見られましたか、もう大丈夫ですよ。リタ様」
「ああ、恐ろしい夢だった。いや、夢だったのかな??」
「現実のような怖い夢だったんですね」
僕はソアンのことを強く抱きしめて眠っていたようだ、僕の腕の中でのんびりとしているソアン、もう怖い夢は終わりですと彼女は言った。でも僕はまだ今の夢の内容を考えていた、本当に夢だったのだろうか、それにしてはあまりにも生々しかった。まるで現実に起きたことのような夢だった、誰かの体験をそのまま僕が味わったような気がした。
夢の共有が起こったのかとも思った、でもあれは同じエルフか世界の大いなる力が使える者、そんな者同士でしか起こらないことだった。エルフであるイデアにも昨日は会っていなかった、他に大いなる力が使える者も知らなかった。だから本当にただの夢だったのだろうが、とても恐ろしくて悲しい夢だった。夢の中では少年の僕は酷い目にあった、奴隷として売られただけじゃなかった。
ソアンにはとても言えないが夢の中では僕は男性器を切断されたのだ、美しい人間の夫婦は見た目と違いとても残酷な者たちだった。恐ろしいことに成長期に入る前の少年を対象に、その男性器を去勢してしまうという手術がある、目的は少年期のとても美しい高い声をそのまま残すためだ。そんな手術をされた歌い手は、高く美しい少年のような声、それを持ちカストラートと呼ばれているのだ。
それになりたくて自らその手術を望む者もいるが、夢の中の少年は強制的に手術されていた。とても人道的とは言えずにまたあまり身分の高くない貧しい者、彼らが幼いうちに行われることが多いから、これを法律で禁止している国もあった。僕は自分が無理矢理にあんな手術をされたらと、そう考えるとゾッとして寒気がした。そうなったら僕も人間を憎むかもしれない、そうして怪物と言われる者ができあがるのだ。
「あんなに酷い目にあったら、人間を憎むのも無理はない」
「リタ様、どうなさったんです」
「いや、連続殺人犯の心を覗いたような、そして自分も怪物になるような恐ろしい夢だったんだ」
「リタ様は大丈夫です、連続殺人犯なんて怪物にはなりません、それはただの怖い夢です」
ソアンはそう言って僕のことを抱きしめてくれた、僕もそんな優しいソアンが愛おしくて抱きしめ返した。そう僕にはソアンがいるから大丈夫だ、もしあんなに酷い目にあったとしても、美しいからといって無差別に人間を殺したりしないんだ。だって全ての美しい人間があんな酷い者ではない、ミーティアやステラそれにティスタたちは美しくても、優しくて他の者を思いやる心があることを僕は知っている。
「顔の美しさだけじゃ人間は分からない、心の美しさがどうなのか知らないといけない」
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