4、ある未解決事件

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4、ある未解決事件

杉並中央警察署にて。 今のところ差し当たって大きな事件もなく、強行犯係の面々は書類仕事をこなしている。 そんな中、康介は一人で薄暗い資料室にこもっていた。 大市美海への暴行事件について、独自に調べていたのだ。 今年の4月下旬、大市美海は予備校の帰り道で暴漢に襲われた。 夜の9時過ぎ、人気の無い夜道を一人で歩いていた時のことだった。 背後から突然襲われて、すぐ側に停めてあった車に押し込まれた。 それから車内で暴行を受けた後、街外れの雑木林の中に捨てられた。 翌朝、彼女は通りすがりの近隣住民によって発見、保護された。 大市美海を襲った犯人は未だ捕まっていない。特定もできていない。 仮に捕まったとしても、10年もしない程度の懲役で娑婆に出てくるだろう。 それで罪を償ったことになる。 間違いなく彼女を死に追いやったのに、この犯人に殺人罪は適用されないのだ。 (酷い話だよな) 資料に目を通しなが、康介は精悍な顔を忌々しげに歪めた。 担当部署が、現在どの程度の優先度でこの事件の捜査を進めているのかは分からない。 しかし、目の前にあるのは、未だに犯人が捕まっていないという事実だ。 (せめて俺が犯人を見つけて捕まえてやる) 亡くなった大市美海の為か。 彼女の家族の為か。 自分の為か。 とにかく、康介は独自に捜査して犯人逮捕に努めることにした。 (犯人のDNAは検出されていたが、  過去の逮捕者データベースに引っ掛かる奴は居なかった。  つまり、この犯人には前科が無いわけか) 保管されているファイルを捲りながら、犯人像を組み立てる。 (被害者は背後から襲われて車に連れ込まれてすぐに目隠しをされた。  だから犯人の顔は一切見ていない。  これも、犯人の特定を難しくしてる要因の一つなんだよな) 犯人の顔はおろか、体格や年齢も分からない。 防犯カメラを設置していない地域だった為、外見的要素から犯人を見つけるのは絶望的だった。 (犯人はなかなか用心深い奴のようだな。  自分が捕まらないようによく考えて行動している。  しかも前科も無いとなると……普段は真面目に過ごしているんだろう) 用心深くて用意周到、それでいて己の欲望は抑えられない。 狂気を隠しながら、表向きには真面目に過ごしている。 だから、どこかで歪みが出る。 (仕事も真面目にきっちりとこなすタイプなんだろうな。  だから、犯人の周囲に居る人間はそいつの異常性に気付かない) 捕まってから「まさかこの人が?」「そんな人には見えなかった」「信じられない」 そんな風にコメントされる奴なんだろう。 (職業は、体より頭を使う仕事と思われる。  何だろうな。事務職全般、弁護士、教師、コンサル、IT関係、WEB関係……  うーん、現時点で絞り込みは無理だな) 犯人を特定する材料の乏しさにため息をつく。 その時、誰かが資料室に現れた。 「こんなところに居たんですか。藤咲さん」 「ああ、高倍か」 現れたのは、同僚の高倍京二(たかべ きょうじ)だった。 体育会系上がりの良いガタイに人懐っこい笑顔を乗せている、若手刑事だ。 「係長が呼んでますよ。昨日の件の報告書に不備があるって」 「あー、すまん。すぐ行く」 持っていたファイルを元の場所に戻して、康介は出口へ向かった。 「何を調べてたんですか?」 事務所に向かう途中の廊下にて、高倍が康介に問いかけた。 「8ヶ月前に起こった、大市美海への暴行事件についてちょっとな」 「大市美海って、昨日の自殺した女子高生ですよね」 「ああ。彼女は今年の4月に何者かに性的暴行を受けた。自殺した原因もそこにある。  にもかかわらず、犯人はまだ野放しにされてるみたいなんでな」 「それで、独自に調べてたんですか」 「まあな。なにもかも、被害者にしてみれば今更なんだろうが」 「はあ……でも、何でまたこの事件を?」 「さあ、何でだろうな。未解決の事件なんて他にもいっぱいあるのに」 「もしかして、大市美海と楓くんを重ねてるとか?」 図星を突かれて康介の足が止まる。 「あ、やっぱりそうでしたか」 「う……」 「まあ、分かりますよ。置かれてる状況が似てますし。年齢も近いし」 言いながら、ふと高倍は思った。 (そう言えば、大市美海と楓くんって見た目の雰囲気も似てたな。  藤咲さんが必要以上に感情移入するわけだ) 再び二人で横並びに歩きはじめる。 「浦坂実の事件から1ヶ月ぐらいになりますかね。楓くん、どうしてますか?」 「なんとかやってるよ。薬の力を借りながらだけど、少しずつ回復してると思う」 「そうですか。良かったですね」 高倍も……否、同僚の刑事たち全員が知っている。 浦坂実によって楓が拉致されて、惨い暴行を受けたことを。 それまでの康介は、息子の楓がいかに可愛いかをうざいぐらいに同僚に話していた。 だが、例の事件以降は一切何も話さなくなった。 その為、高倍は楓の様子が気になっていたのだ。 「最近は写真とか見せてくれなくなりましたね」 「ああ……そうだったか」 「いい感じの写真が撮れたら、また見せて下さいよ」 「ああ、そうだな。考えておくよ」 「ついでに、楓くんに俺のこと紹介して下さいよ。俺、仲良くなりたいっすから」 「うーん。なんか嫌だな」 「えー? 何でですか」 「楓がお前と仲良くしてるところを想像したら、なんかムカついた」 「なんですか、それ」 身勝手すぎる康介の言葉に、高倍は思わず苦笑した。
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