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30、悪夢
真っ暗な空間の中、激しい雨が降っている。
ここがどこなのか分からない。
困惑していたが、目の前に現れたその人を見て不安は影を潜める。
「康介さん」
楓は彼に声を掛けた。
後ろ姿だったが、見間違うはずがなかった。
彼なら、自分の声に気付いてすぐに振り返ってくれる。
そう思っていた。
「康介さん?」
だが、彼は楓に背を向けたまま振り返ってくれなかった。
もう一度、少し強めに呼びかけてみるが、それでも反応は返ってこなかった。
「ねえ、康介さん」
──お願い、こっちを向いて。
──いつものように笑って。
「…………」
どんなに呼びかけても康介は振り返ってくれない。
それどころか、楓を置いて前へ進んで行く。
追いかけようとしたが、足がすくんで動けなかった。
そうしている間にも、康介の背中はどんどん遠ざかっていく。
無理やり体を動かそうとしたが、その場に倒れて蹲るだけだった。
やがて闇色の雨の中に消えていく、康介の後ろ姿。
悲しくて恐ろしくて涙が止まらなかった。
「待って、置いていかないで」
「良い子にしてるから」
「何でもいうこと聞くから」
「迷惑をかけないようにするから」
「役に立つ人間になるから……」
──お願い、どうか捨てないで──
声にならない叫びは相手に届くことなく、暗闇の中で降り注ぐ雨音だけが響き続けた。
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