32、せめて穏やかに

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そうして、時刻が4時に差し掛かったあたりで康介が名残惜しそうに話を切り上げた。 「あー……もうこんな時間か。そろそろ家を出ないと」 「何かあるの?」 「ああ。楓の学校で保護者説明会があるんだ」 「あ……」 楓もすぐに理解した。 所属している教諭が殺人容疑で逮捕されたことを受けて、学校は大騒ぎになっていた。 まずは保護者向けに今後の方針についての説明・質疑応答が行われる。 康介は楓の父親なので、当然その集会に参加するわけだ。 「できるだけ早く戻るようにするから。楓はゆっくり過ごしていてくれ」 「う、うん」 頷きつつも、楓の顔には明らかな不安の色が浮かんでいた。 心細いのだろう。無理もない。 しかも、こんな日に限って朝から雨ときている。 「あ、そうだ」 玄関先に立った時、ふと康介は思い出した。 「これを渡しておこう。と言うか、返しておこう」 「え?」 「色々あって返し損ねてた」 「こ、これ……!」 康介が胸ポケットから小さな指輪を取り出す。 すると、楓の目が大きく見開かれた。 「中岡のアパートの裏手に落ちてた」 「あの時、先生に奪い取られて捨てられて……」 「そうか。あの部屋の窓から捨てられたんだな」 「ごめんなさい」 「何で謝るんだよ。楓は何も悪くないだろ」 「…………」 申し訳なさそうに俯く楓の目の前に指輪を差し出す。 「これが落ちていたお陰で、俺はあの部屋に楓が閉じ込められていることに気付けたんだ」 「そ、そうだったの」 「この指輪が落ちてなかったら、何も気付かずにそのまま退散しちまうところだった。危なかったよ」 「…………」 困惑する楓の肩に康介が優しく手を置く。 「でも、気付けて良かった。そうでなければ、今のこの時間は無かったもんな」 「……うん」 「やっぱり、こいつは楓にとって大事な“お守り”だな。だから持っていなさい」 指輪を楓の手にしっかりと握らせる。 彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。 「さてと、じゃあ行ってくるよ」 「いってらっしゃい」 身支度を整えた康介が、改めて玄関先に立つ。 心細さを抱えつつも楓は笑顔で見送る。 「帰りはそんなに遅くならないと思うから」 「うん」 「じゃあ、くれぐれも無理のない範囲で活動してくれよ。  基本的には、何も気にしないでゆっくりしててくれて良いから」 「うん」 「よし、良い子だ」 にっこりと笑って、康介は楓の頭をよしよしと撫でてやった。
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