46、幸せな日

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46、幸せな日

コートを脱いでスーツも脱いで、ラフな服に着替える。 それでも、普段よりは見た目に気を遣おうとするのは、クリスマスイブの効果だろうか。 少しばかり気取ったダークグレーのカーディガンを纏い、康介はリビングへ赴いた。 テーブルには、熱々のグラタンが湯気を立てて待っていた。 「ああ、やっぱりこれだよな」 「うん」 「今日は楓と一緒に食べることが出来るんだな。嬉しいよ」 「うん。僕も」 頷きながら、楓は少し目を伏せた。 その想いを康介は痛いぐらいに知っている。 慰めるように肩に手を置き、ポンポンと軽く叩く。 すると楓は顔を上げて微笑んだ。 「さあ、食べよう」 “いただきます”と手を合わせて食事に手をつける。 少し焦がしたチーズの香りが鼻腔をくすぐったかと思うと、まろやかなホワイトソースが口いっぱいに広がる。 温かい味だった。 懐かしい記憶が思い起こされる味だった。 「美味い。美味いなあ」 「ありがとう」 「思い出すなあ。昔、3人でよく一緒に食べたよな」 「……うん」 グラタンは桜子の好物だった。 彼女は著しく料理が苦手だったので、いつも冷凍食品を温めたものだったが。 それでも、皆んなで笑い合って食べる食事はいつだって心地良かった。 「初めてだよな」 「え?」 「この日に二人でグラタンを食べるのは」 「ああ、うん。そうだね」 「もっと早く、こんな日を迎えられれば良かった」 楓はクリスマスイブの夜は必ずグラタンを作る。 11年前のこの日に命を落とした桜子を偲んでのことだった。 しかし、仕事柄、康介の帰宅はどうしても遅くなる。 深夜に帰ってきて一人でひっそりと食べることや、 翌日まで帰ってこれなくて冷蔵庫の中に置いたままにされることもあった。 「仕方ないよ。この時期はいつも忙しいんだから」 「仕方ない、か」 仕事で忙しかったのは事実だ。 だが、仕事に意識を集中することで辛い日から目を逸らしていたのも事実だった。 (その間、楓は一人でどんな思いで過ごしていたんだろう) 寂しい思いをさせていたに違いない。 一人で耐えていたはずだ。細く小さな体で。 「今年は特別だね」 「来年も、再来年もこうやって過ごそう」 「それができれば嬉しいけど」 「やってみせるよ。絶対に」 「うん。ありがとう」 力強く断言する康介に対して、楓は曖昧に笑った。 おそらく、あまり期待はしてないのだろう。 今そこにある康介の好意を受け取って笑ったのだった。 それから二人は、他愛もない話を交わして食事を続けた。 街で見かけたクリスマスのイベントや、浮かれたバカが起こした珍事件……等。 穏やかな微笑みとともに夕食の時間は過ぎていった。
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