1、血の繋がらない親子①

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1、血の繋がらない親子①

12月の冷たい雨が降り注ぐ深夜。 外から響く雨音に導かれて、男・藤咲康介(ふじさき こうすけ)【38】は目を覚ました。 目を開けるなり、隣に目を向ける。 そこには、静かに眠る息子・楓(かえで)の姿があった。 ほっと安堵して、康介はおもむろに楓に手を伸ばす。 少し離れていた体を抱き寄せて、胸の辺りにそっと手を置く。 「…………」 腕の中にある体温と胸から伝わる心音を確かめて、康介は小さく息をついた。 父親が高校生の息子にする行為として、一般的にはおかしいのかもしれない。 しかし、康介と楓には必要なことだった。 (良かった。……ちゃんと生きてる) 約1ヶ月前、楓は浦坂実(うらさか みのる)という男によって拉致された。 浦坂は、刑事である康介によって逮捕された過去を持つ男だった。 そのことを恨んでいた浦坂は、康介への復讐として楓を襲った。 浦坂による惨い暴行を受けた楓は死の淵まで追い込まれた。 否、実際に僅かの間、“死んで”いた。 康介による懸命な心肺蘇生によって息を吹き返したのだった。 その後、浦坂の死によって事件は解決した。 しかし── 「あ……あ……」 「楓……?」 静かに眠っていた楓の呼吸が、不意に乱れ始めた。 眉が苦しげに歪められ、唇が震えている。 「やめ……やめて……」 「楓、起きろ。起きるんだ」 「やめて……お願い、もう……」 「楓!」 「ひっ……!」 悲鳴を上げて楓は飛び起きた。 目を大きく見開き、肩で息をする。 否、息ができていなかった。 すかさず康介が楓を抱き締める。 「大丈夫だから。ゆっくり息をするんだ」 「あ……」 優しく抱き締めて、背中をさすって安心を促す。 やがて、落ち着きを取り戻した楓がゆっくりと息を吐き出した。 ぼんやりとした眼差しに徐々に正気が宿る。 「楓、俺が分かるか?」 「康介……さん?」 「そうだ。よしよし、良かった」 にっこりと笑って見せて、康介は楓の頭を優しく撫でてやった。 「ごめんね、僕はまた……」 「良いんだよ。怖い夢を見たんだろ?」 「…………」 小さく頷いて俯く。 そんな楓を改めて抱き締め、康介は優しく言葉を紡いだ。 「大丈夫。全ては悪い夢だ。お前はもう安全だから」 「うん」 「俺がそばに居るから」 「うん」 頷いた楓が腕の中から出ようとするので、康介は腕により強い力を込めた。 「どこに行くんだ?」 「薬を飲まなきゃ……」 精神を安定させる為に医者から処方されている薬がある。 それを飲むと、いくらか気分が落ち着くらしい。 ある程度は必要であり有効な手段なのだろう。 しかし、しかし…… 「俺がいるだろ?」 「え……」 「俺がいるから、薬は要らないだろ?」 「……うん」 もう一度頷いて、楓は涙を流した。 しばらくそうやっていたが、やがて楓の体から力が抜ける。 再び眠りに落ちたらしい。 「…………」 その眠りが静かであることを認め、康介は楓と共に再びその身を横たえた。 閉ざされた楓の目の端から、残りの涙がこぼれ落ちる。 それを指先で掬い、康介は楓の耳元で囁いた。 「愛してる」 低く優しい声で囁き、その額に口付けを施した。親愛の証として。 先の事件は浦坂の死を以って解決したが、楓が受けた傷は今でも完治していない。 週に一度は病院に通っている。 体に受けた傷の治療はもちろんだが、何より深刻なのが精神的なダメージだった。 拉致監禁されていた間に受けた暴行は、楓の心を深く傷つけてぐちゃぐちゃにした。 今でも薬を飲まないと眠ることも出来ない。 眠っても、暴行を受けていた時のことを夢に見る。 悪夢にうなされて悲鳴を上げて飛び起きる……そんなことを頻繁に繰り返すのだ。 過去には、恐怖と混乱で正気を失い、窓から飛び降りようしたこともあった。 マンションの8階である、この住居の窓から。 「…………」 あの時のことを思い出して、康介は楓の頬に手を当てる。 温かくて柔らかい感触を確かめた。 「愛してるよ、楓」 ほんのりと笑みを浮かべて、康介はもう一度囁いた。 そして、しっかりと楓を抱き締めて再びの眠りについた。 楓の心の傷の回復には、これから長い時間がかかるものと思われる。 康介は、それに徹底的に付き合うことを決めていた。 何年でも、一生でも、ずっとそばに付いて楓を支えると心に決めていた。 こうやって同じベッドで眠るのも、その一環だった。 悪夢で目を覚ましてもすぐに安心できるように、いつでも抱き締められるように。 とにかく楓を失いたくない一心で、康介は出来るだけのことをしようと心掛けていた。 子を守る親として。 そう。親として、だ。 血は繋がっていないが、康介は楓のことを心の底から愛していた。
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