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「金を出せ」
それが店主の放った第一声だった。「いらっしゃい」の一言もなく、ギロリと鋭い視線が向けられる。
咄嗟に夏湖が身を強張らせると、対照的な、李静の呑気な声が響いた。
「店長じゃん!」
「黙れ小僧、私は店長ではない」
「へ?!」
どうやら厨房に立つ店主の見た目が、猫猫軒の店長と同じらしい。
「李静、これ夢だもん……」
「おい、嬢ちゃん。夢だと油断してると死ぬぞ」
「え……?」
突然の『死ぬ』だなんて強烈な二文字に、夏湖は再び固まった。思わず李静の裾を引く。
「いいか、この店内は私の支配の元に在るのだ! お前の夢の中なんぞではない」
「どういうこと?」
「ふはははは! この陳杢で中華を食うのに会話ァ! 物音ォ! 一切必要無し!
いいかお前ら。いずれの音を立てた瞬間に嬢ちゃんは死ぬ! いくら目覚まし時計が鳴ろうと誰かが起こそうとも、嬢ちゃんは永遠に目覚めないのさァ!」
「え?!」
夢だと高を括っていた夏湖も、店主の狂気に満ちた口ぶりにゾッと肝を冷やす。
李静は咄嗟に扉に触れたが「無駄だ、ここで中華を食っていかない限り出られんぞ」と店主に一蹴される。諦め、振り返り、一歩進み出した。
「……お前は一体誰だ?」
「フン。人の夢を支配するゲームマスター、とでも言っておこうか。私は今まで何人もの人間を私の中華で永遠の眠りに就かせてきた。私は、私の料理を口にしたことで客が恍惚とした顔で死んでいく瞬間を見るのが何より好きでね……そのためだけに中華四千年料理し、生きてきたのさ!」
李静は果敢に言い返す。
「恍惚? ハッ、黙って静かに食えばいいんだろ?」
「小僧、私の中華を口にして同じことが言えるかな?」
今度は夏湖が身を乗り出した。すぐに李静に止められはしたが。
「あのっ! ……李静はどうなりますか?」
「いいよ、夏湖。――おい、店主。夏湖が無事に目覚める条件は?」
いかにも中華の料理人然とした、細い目元と口ひげとを悪意に嗤わせた店主は説明する。
「お前が持ってるその金を券売機に入れたらスタートだ。私がチャーハン、ラーメン、餃子、シュウマイ一人前を順番に調理し、提供する。それを一切の声も発さず物音も立てず、残さず交互に食べることが条件だ」
「……分かった」
潔い返事をした李静は夏湖を振り返る。「夏湖は大好きなチャーハンと、餃子でいいよね?」と言うので、夏湖は流れのままに頷いた。
大食いではないがなんとかイケるだろう……そこまで考えて、夢の出来事らしいだけにあまりにもバカげていると笑いたくなった。けれど、そんなバカげたことに必死になるのもまた、夢の中だと思った。
現実世界の人間だと言い張る李静の存在だって結局は架空の存在とも思うのだが、それでもこれまでの夢ではあり得ないほどに研ぎ澄まされた五感が、夏湖に迫り来る死の恐怖を覚えさせる。
そうだ。夢と呼ぶには視覚、聴覚、嗅覚、触覚……それらで捉える世界があまりにリアルだ。そして今、最後の感覚――味覚が試されようとしている。
「夏湖、いい?」
李静の声に、夏湖は覚悟を決めて頷いた。
李静はチャリン! と券売機に例の硬貨を投入した。そして二人は、カウンター前の丸椅子に慎重に腰かける。
二人が顔を上げたのを合図に、デスゲームは始まった。
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