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一切の音を立てられない二人と違い、ここ陳杢にはあらゆる音が響き渡っていた。
トントントントン!
チチチッ……ゴオォ!
ジャアァッ!
カンカンカン!
ジュワ~~ッ!
そして最後、ドンッ! と華麗な音を立てて夏湖の前に八角皿が置かれた。
そこには卵の黄金に輝く見事な半球体のチャーハンが、熱々の湯気を放ちながら鎮座していた。
夏湖は思わずゴクリと鳴った喉に、ザッと店主を見上げる。ニヤリとしていたが、それは嚥下の音を聴き拾ったからではないようだった。
留飲を下げた夏湖は早速「いただきます」の意を込めて恭しく手を合わせると、レンゲを手に取った。
中華を代表する、ごま油と鶏ガラが織りなす豊かな香りが鼻孔をくすぐる。髪を耳にかけてから、夏湖はパラパラと零れ落ちてしまいそうな米粒を慎重に救い上げた。口に含む。
理不尽すぎる――。
この一口目だけではない。夏湖の夢見た食事の時間はその思いに終始した。
こんなにも美味しいチャーハンに「美味しい」とただの一言も口に出して言えないなんて、どうかしている。あまりのことに手が震えた。
殺人犯に監視される静けさの中にあっても、夏湖の脳内食レポは止まらない。
ナルトの弾力ある歯応えと小口切りにした青ネギのシャキシャキ感が、完璧なバランスとタイミングで口の中を踊っている。それを優しく包み込む卵のほのかな甘みと、熱が運ぶ米のやわらかな香ばしさ、肉の旨味。そしてそれらを引き立てる塩と胡椒の塩梅といい……基本にして至高の味だ。
たびたび迫る「美味しい!」と叫びたくなる衝動を抑え込むも、終盤、別の理不尽が夏湖を襲う。慎重に無音で食べ進めたチャーハンであるが、皿に残る米を音を立てずに掬わねばならなかったからだ。
夏湖は周囲を見渡し、機転を利かせて箸に持ち替えると――一粒一粒丁寧にチャーハンを摘み、口に運んだ。どうせならレンゲに搔き集めて、より濃厚な一口でフィナーレを迎えたかった。
――ごちそうさまでした。
目の前の料理人が殺人鬼であろうと、このチャーハンを生み出した人間には伝えねばならない一言だった。夏湖は深々と手を合わせて、その思いを店主とチャーハンの神様に捧げた。
店主は悔しそうな顔で、それでも納得の頷きを見せた。第一関門は無事、突破できたようだ。
ここで夏湖は我に返り、李静を見た。すっかり自分の世界に没入してしまったが、彼は大丈夫だろうか。
そこには腹部に手を当て緊張に唾を飲む李静がいた。それが何を表しているのか夏湖にはよく分かった――今にも腹が鳴りそうなのだろう。
視線に気づいた李静は夏湖にグーサインを一つ送ると、打って変わった鋭い眼差しを店主に向けた。怒りと欲望のままに、早くラーメンを出せと訴えているようだった。
それに応え麺を茹でにかかった店主の背を眺めた時、二人は同時に気づく。
ラーメンを無音で食べることが果たして、人間には可能なのだろうか――?
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