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シトラスおじさんとの出会い
休日の夕方に閑静な住宅街を散歩していると、「今の人、とてつもなく暗い雰囲気じゃなかった?」、「あっ、私も思った。確かに、暗い雰囲気だった」とすれ違ったばかりの若い女性二人組が会話する声が聞こえた。
僕のことを言っているのは明らかだった。
なぜか昔から暗い雰囲気を醸し出してるって言われるんだよな、と過去を振り返りながら溜息をつく。
「ただ、明るい雰囲気を醸し出せるようになるチャンスが来ないだけなんだよ!」と心の中で叫んだ。
その時、「あの、すみません」と後ろから声をかけられた。
振り返ると、高級そうなスーツを着こなし、ちょっと良い香りを漂わせた老紳士が立っている。
「はい、何か?」と僕は尋ねた。
「急に声をかけて申し訳ございません。私、シトラスおじさんと申しまして、とても良い匂いがする男なんです」
「えっ?……はあ、そうですか……」
僕は即座に、この良い匂いがする怪しすぎる老紳士から、どうやって逃げようかと脳をフル回転させる。
シトラスおじさんと名乗った老紳士は、恥ずかしそうに口をモゴモゴさせていたが、少しすると意を決したように、「結論から申します。私を芳香剤として雇って頂けないでしょうか?」とハキハキとした口調で言った。
「あの、酔ってらっしゃいますか?」と僕は尋ねた。
「いえ、素面でございます。」
じっと観察したが、酔っているかどうかは微妙な感じだ。
何かヤバい物質をキメているようにも見えない。
「芳香剤として雇うとは、どういった意味でしょうか?」
「話が長くなるのですが……」
シトラスおじさんさんの話は、確かに長かった。
まとめると、
①シトラスおじさんは2年前、勤めていた会社をリストラされた。
②しばらく無職だったが貯金が底をつきそうになった。
③仕方なく転職活動を始めた。
④客の孤独感を紛らわせるために、個性的な中高年男性スタッフが多種多様な手段で客を楽しませる事業を行っている『株式会社おじさんバラエティパック』という会社の面接を受けた。
⑤『株式会社おじさんバラエティパック』は個性的な中高年男性だけしか採用されないのだが、シトラスおじさんはシトラスの良い香りがするという強力な武器があるので即採用された。
ということらしい。
僕はポケットからスマホを取り出して『株式会社おじさんバラエティパック』を検索した。
どうやら、実在する企業のようだったので少し警戒心を解くことができた。
しかし、事業内容が怪しすぎて悩んでしまう。
「うーん、どうしようかな」
「絶対に後悔させませんから、どうか! お願い致します! 試しに! どうか! もし、すぐクビにされても、怒ったり、悲しんだり、しませんから! お願いします! 一生懸命、良い匂いを発しますから!」
シトラスおじさんは必死になって懇願してくる。
考えた末、嫌になったら、すぐクビにすればいいだけの話だからをシトラスおじさんを雇用してみようと決心した。
「いいでしょう。雇わせてもらいます」
「良かった。じゃあ、頼むよ!」
シトラスおじさんは急にフレンドリーになった。
「雇用した瞬間に急に馴れ馴れしくなったな」
僕は思わず、イラっとして言った。
「ひいい! すみません! 私、そういう駄目なところもありますけれども、雇用の取り消しだけは勘弁を! もし、すぐクビにされても、怒ったり、悲しんだり、しませんから! 試しに! お願いします! 一生懸命、良い匂いを発しますから!」
またしても、シトラスおじさんは必死になって懇願してくる。
あまりの一生懸命さに、「はい、ちゃんと雇いますから、落ち着いて下さい」と僕は微笑んだ。
「良かった。じゃあ、頼むよ!」
「……で、勤務時間とか、いくら払うのかとかは?……聞いてから雇用すべきだったんでしょうけど」
「そうですねー。土日祝日休み、平日午前6時から午後3時までの勤務。月給8万円。住居と食事付きで。住居につきましては、あなたと一緒に住むということで」
「もう断るのが面倒なので、雇うことにします。明日から勤務お願いします」
「ありがとうございます」とシトラスおじさんは大喜びした。
というわけで、僕はシトラスおじさんを雇うことにした。
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