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小さい頃は全然気にならなかったものが、いつの間にかどうしようもなく目に付いたり、鼻に付いたり、違和感になったりすることがある。この春から小学五年生になった岩城愛海も、そういう違和感を覚える年齢に差し掛かっていた。
「どうしたんデス、マナミ?」
食卓に並ぶのはご飯ではなくフランスパンのスライスで、それに母手製のラズベリージャムを塗り、愛海は口に運ぶ。その眉根がきゅっと寄っているのは味が苦手だからとか、そういった理由ではなく、笑みを浮かべる母と父の二人が、娘を前にしても平気でチュッチュと音をさせながら口づけを交わしているからだ。
「なんでもない」
「マナミ。そういうの、よくないデス。ヨシミさん、最近マナミが機嫌が悪いと困ってマス」
「別に困ってはないけど、でもねえ愛海。家の中くらいは勘弁してくれない?」
「だから何も言ってないってば」
好きにやればいい。そういう態度で唇を尖らせるが、二人とも「じゃあ」とばかりにキスを続ける。あれがフレンチキスというのかと友人に聞いたらそれは普通のキスだと返されたけれど、別にフランス人だからといってフレンチキスばかりしている訳ではないらしい。愛海の父であるガブリエル・ロベール氏は新進気鋭のCGクリエイターだ。書斎にはコンピュータで描いたとは思えない美麗な写真が額に入れていくつか飾られている。その絵が愛海は好きだ。海や宇宙をモチーフにした夢の世界。中でも一番のお気に入りはガブリエルが売り物じゃないと言うクマの親子の絵だった。
だから別に血の繋がりがなくても、四人目になる父親だからといっても、ガブリエルのことが嫌いな訳じゃない。
ただ、二人は籍というものを入れていない事実婚だ、というだけだ。
「おはよー、愛海。それともボンジュールだっけ?」
同級生の佐々木綾香は愛海の家庭事情をよく理解してくれている、保育園時代からの親友だ。彼女の家も二人目の父親で、綾香以外に兄弟が五人もいる。半分は連れ子らしいが、歳が離れているので親戚のお兄ちゃんみたいだと言っていた。
「それよりさ、宿題やった?」
「どれのこと?」
「まーたまた、しらばっくれちゃって。作文だよ、例の」
作文。嫌な響きだ。そもそも愛海はあれこれと自分の考えを文章にまとめることが得意じゃない。国語のテストも漢字以外は苦手だし、読書感想文なんてものはもってのほかだ。どうしてこの世に作文なんてものがあるのか。そんなものを考えた奴には逆立ちして牛乳を飲んでもらいたい。
しかも先日、担任の中村女史が出した作文のテーマというのが「家族」だった。もうそんな作文は低学年で卒業させて欲しいところだが、思い返すと二年生の時の担任も中村だった。
「綾香んちはまだいいよ。うちはさ、どう書けばいいと思う?」
「どうって、そのまま書くしかないんじゃない? あの中村が許してくれるかは知らないけど」
中村花代先生は五十を前にして未だに独身を貫く、教育熱心といえば聞こえはいいけれど、あまり生徒からの評判はよくない、堅物の教師だ。五年に上がった時にクラス担任の名前を見て喜んだ生徒は一人もいなかった。それでも言うべきことは言うし、いじめられている子がいれば話し合いの場を設けて両者が泣いて「もう家に帰らせてください」と言うまで付き合う。授業中の余計なおしゃべりは許してくれないし、テストもちょっと難しいことが多いけれど、相対的には良い先生だと愛海は思っている。
ただ作文だけはどうしても駄目だ。それも家族についてというテーマは尚更いけない。
「ねえ。家族って何?」
「家族は、家族っしょ」
「それは空は空だし、空気は空気だし、ランドセルはランドセルだよ。何の解決にもなってないよ」
「そもそもさ、あんたんち、家族って言っていいの?」
え――という口の形をしたまま、愛海は残りの学校までの道のりを過ごしてしまった。
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