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メイクは、変身のためにするんじゃない。自分が思う自分の好きなところ、魅力をより引き立たせて、自信を持って前に進むためにするんだ。
だからメイクは、魔法だ。
女子高校生は可愛いものに敏感で、好きなものや人に、前のめりになる生き物だ。中学まではおとなしかったような子でも、成長すると少し雰囲気が変わる。彼女たちは男の子たちよりも現実的な方法で、夢を愛している。
そして、女の子ではないぼくがその輪の中に入っていても、邪険になんかしない。
「ねえねえ青威、昨日発売したメイキャップ読んだ? 付録の透明マスカラ、どう思う?」
登校してすぐに、前の席の女子が話しかけてくる。ぼくがリュックから話題の雑誌を取り出すと、「さすが青威」と、他の席からも声が上がる。
「雑誌の付録なのに美容成分も配合してて、かなりいいんじゃないかと思うよ。学生のうちからそこらへん気をつけとかないと、後で傷んだりするし」
「へー、やっぱりいいんだ! 今持ってるやつが余ってるからちょっと買うの迷ってたんだけど、青威がそう言うなら買っとこ!」
嬉しそうに、女子は声を弾ませる。
「あ、メイキャップ最新号じゃん! 今回推しのモデルが出てるんだよね。青威、ちょっと見せて!」
「私も私も」
朝から元気な女子たちが、ぼくの机に集まってくる。彼女らのために、ぼくはスマホで、透明マスカラの使い方を分かりやすく説明した動画を再生した。
「このユーチューバーの動画はわかりやすくていいよ。透明マスカラは学校でも悪目立ちしないし、ナチュラルメイクに合うからおすすめ。みんなにもリンク送っとくね」
「わあ、青威、いつもありがと!」
みんなが嬉しそうにしてくれるのは、やっぱり嬉しい。つられてにこにこしていると、教室の隅から、ぼそっと「女男」という声がした。見なくてもわかる。ぼくとは正反対の雰囲気の男子たちのグループだろう。
その言葉にはぼくよりも早く、周りの女子たちが反応した。
「青威は私たちと同じく、メイクに興味があるだけ! そういうレベル低い悪口は聞こえないとこでやってくんない?」
「そうそう。青威君にはメイクアップアーティストって夢があるんだから、ぼーっと生きてるあんた達とは違うの。それに女男って。あんた達、ジェンダー講習受けたでしょ。それって立派な差別だからね」
女子たちの反論に、男子たちは目を逸らして黙ってしまった。いつも思うけれど、ぼくの友達は強くて優しい。
「みんな、ありがとう。ぼくは全然気にしてないから、もういいよ」
「青威ってば優しすぎ! 本当いい子!」
男子と女子、という区分の仕方が時代遅れになりつつある昨今だけれど、でも未だに、メイクは女子のもので、男子がするのはおかしなことだという認識が、学生の中には根強い。世の中には、男性のメイクアップアーティストだってたくさんいるのに。
「青威君、嫌なことがあったらいつでも言ってね! 私も力になるから」
そう言ってくれた赤瀬さんに頷きつつ、ぼくは本当に恵まれているなと思う。
赤瀬蒔さんは入学式で意気投合してから二年生の今になっても仲良くしてくれている、本当に可愛い女の子だ。元々小さい顔がショートボブの髪型のおかげでより小さく見えて、笑った顔なんかアイドルみたいだ。
ぼくが彼女の可愛さに気がついたのは、一年生の夏休み前。それまでは普通の、気の合う友達のひとりだった。けれどその頃から、いつも何かを追いかけているような、そのためにもっと自分の長所を伸ばそうというような、前に向かって走り出したような印象を受けるようになった。その、ひたむきな前向きさに、気がつけば心を奪われていた。
ずっと赤瀬さんの笑顔を見ていたいと思った。
だから、赤瀬さんから恋愛相談を受けたときも、親身になって話を聞いた。そうか、彼女のひた向きな可愛さは、恋をしていたからだったのか、と思いながら。
「青威君には本当に感謝してるんだから、悩みごとは何でも言ってね!」
そう言って、赤瀬さんは自分の席に戻っていく。彼女から相談を受けたときに、メイクや衣服のアドバイスをしたのはぼくだ。その通りにしたら好きな人と付き合えることになったんだ、と、赤瀬さんは頬を赤く染めて、夏休み後に報告してくれた。
その顔も、やっぱり可愛かった。
赤瀬さんにとっては、ぼくはよき友達で、相談相手だ。でも、その笑顔を隣で見られるのだから、ぼくはやっぱり恵まれている。
例え、その口から彼氏との話題が出てきても……その度に、胸が痛んでも。
ぼくは赤瀬さんのよき友達で、相談相手なのだ。
一月の最後の土曜日は、学校がお休みの日だった。母とふたりで昼のワイドショーを見ていたとき、家のチャイムが鳴った。対応に出た母と一緒に入って来たのは赤瀬さんだった。
「こんにちは……突然お邪魔してすみません」
ひと目で、いつもと違うのがわかった。暖色の膝丈ワンピースと夢可愛い刺繍の入ったタイツがよく似合っているけれど、肝心の表情が……暗い。暗いどころではない、泣き腫らした跡が、頬や目元、鼻のあたりに滲んでいる。
「赤瀬さん、どうしたの。何があったの」
思わず立ち上がると、赤瀬さんは力なく笑い、そのままその顔を歪めて両手で隠した。
「……ごめん、青威君に相談したくて……っ」
泣きじゃくる赤瀬さんを椅子に座らせて、母が出してくれたお茶を勧めて、背中をさすってあげた。よく聞けば、どうやらデート中ちょっとしたことで彼氏と口論になり、途中で逃げ出して来てしまったらしい。
「うっ……私、私も悪いと思うけど、でも、彼の言い方も悪かったと思うの……っ。でも、でも」
「大丈夫、落ち着いて話して? ね?」
赤瀬さんは差し出したティッシュで鼻をかみ、うええと泣き続ける。
「でも、……でも、私、仲直りしたい。こんなことで彼と終わったりしたら……そんなの……」
赤瀬さんが今の彼氏と付き合うために、たくさん努力したのはよく知っている。ぼくのアドバイスを取り入れて、最初は苦手だったメイクも練習したし、一緒に服を買いに行ったときは、相手の好みをリサーチしたメモを見せてくれたっけ。
本当に好きなんだ、彼のことが。
「赤瀬さん、ちょっと待ってて。ぼくのとっておきを持って来る」
「え? とっておきって……?」
さっと立って、部屋からメイクボックスを持って来ると、赤瀬さんは赤くなりかけた目を丸くした。
「それ、青威君の?」
「うん。仲直りするなら、そんな青ざめた顔じゃだめだよ。とびっきり赤瀬さんらしい、可愛さを持っていかないと」
ぼくはボックスを開いて、まずはメイク落としを差し出す。涙と多分鼻水と、ここまで来るときの汗とで、元々していたらしいメイクは崩れまくってしまっていた。赤瀬さんは少し恥ずかしそうに受け取って、顔を拭き始めた。
「あ、青威君がメイクしてくれるの……?」
「赤瀬さんさえよければ」
赤瀬さんはますます恥ずかしそうに、でも確かに頷いた。
「人にメイクしてもらうの初めてで緊張するけど……、よろしくお願いします」
指で塗る化粧下地だけは赤瀬さんに自分でやってもらって、そこから先はぼくがすることにした。赤瀬さんの肌に馴染みやすそうな明るめの色合いのファンデーションを選んで、スポンジで塗っていく。
「ぼくはよく、姉さんたちにこうしてメイクしてあげるんだよ」
「青威君、お姉さんいたんだ。そっか、それでメイクに興味を持ったの?」
「うん」
いくつか持っているアイシャドウのうち、どれが今日の赤瀬さんにぴったりか考えつつ、ぼくは話を続ける。
「姉さんが二人で、ぼくが末っ子だったから、家族みんなで可愛がってくれて。子どもの頃は、姉さんと、姉さんの友達と遊んでばかりいたんだ。幼稚園のときは人形遊びやままごと、小学生になったら一緒に占いの本を読んだりして」
「ふふ、青威君っぽい」
「でしょ。他の男の子たちが外で遊んでいたのに、そこには混じらなかったんだ。姉さんの友達とは、今でも遊ぶくらい仲良しなんだよ。小学生高学年の頃かな。姉さんたちはその頃中学三年生で、母さんのお化粧道具を借りたりして、少しずつメイクをしだしたんだ。それを見ていて、ぼくもやりたいなと思った。姉さんたちがなんだか一気に大人になった気がして、羨ましかったのかも。それで、ぼくも見よう見まねでやってみたんだけど」
予想がついたのか、目を閉じた赤瀬さんはなんだか面白そうに口角を上げた。ぼくはその瞼に、赤系のカラーでグラデーションをつけてゆく。
「物凄い顔になっちゃったんだ。頬なんて真っ赤でさ。塗ってるときは楽しかったんだけど、鏡を見てびっくりしたのを覚えてる」
「チーク塗りすぎたの?」
「そう」
さっきメイク落としで拭き去ったマスカラを、まつ毛に塗っていく。均等に、ダマにならないように、慎重に。
「そうしたら、そのときちょうど遊びに来てた姉さんの友達が、綺麗に直してくれたんだ。メイクが上手な人で、ささっと」
マスカラをしまいながら、あのときの姉さんの友達の手際と言葉を思い出す。
『チークはね、血色をよく見せるために塗るんだよ。真っ赤にすればいいわけじゃないんだ。ほら』
「びっくりしたんだ。ぼくが塗りたくったときとは違って、鏡の中には、血色のいいぼくがいた。女の子みたいなぼくじゃないよ。ぼくはぼくのまま。でも元のぼくの肌の温かみが、より強調されていたんだ」
赤瀬さんは目を開き、じっとぼくの話を聞いている。ぼくはその唇に合うリップを選ぶ。健康的な、ピーチピンク。
「そのとき、びびっときたんだ。メイクって、変身のためにするんじゃない。元々の自分が持っているよいところ、魅力を最大限に引き出して、前を向いて堂々と生きていくためにするものなんだって」
仕上げに、チーク。リップの色と同系色のものを、頬骨の辺りに馴染ませていく。さっきまで混乱と不安で暗くなっていた顔色が、ぱっと明るくなる。
「完成。鏡どうぞ」
メイクボックスから取り出した手鏡を見て、赤瀬さんは歓声を上げた。
「うわあ、すごくいい……! え、嘘、自分でやったときより可愛い。青威君、魔法使いみたい」
当たり前だ。ずっと君を見てきて、その可愛さを最大限引き出すにはどうすればいいのか、ずっと考えていたぼくがやったんだから。
「これできっと、落ち着いて仲直りできるよ。大丈夫。赤瀬さんなら……彼氏への思いをちゃんと伝えられるよ」
赤瀬さんは立ち上がり、ぼくの手をとってぶんぶんと上下に振った。花が咲いたみたいな笑顔が、ぼくに向けられている。
「ありがとう、青威君! 私、青威君みたいな友達がいて、本当によかった! 急いで彼のところに行って、仲直りして来る!」
「いってらっしゃい」
ばたばたと玄関ドアから出て行く後姿は、昼の日差しに溶けて行く。その背中が小さくなるまで、ぼくは見送った。仕上げに使ったチークを、そっと手の中に握り込んで。
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