ウィリアムズ男爵家の隻腕令嬢

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ウィリアムズ男爵家の隻腕令嬢

グブリア帝国北部国境に位置するクラウス侯爵領。わたしが侯爵家の邸宅を訪れるのは年に一度、雪が解けて木々が芽吹きはじめた頃に開かれる迎春の宴だ。 クラウス領でも最北の地に居を構える我が家のまわりは未だに雪がチラつくけれど、領主の住まう南部の景色はすっかり春めいている。肩にかけたミンクファーのケープも必要なさそうだった。 「ソフィア、ケープは脱いでおくわ」 「お預かりします。もうそろそろ侯爵邸ですね」 侍女のソフィアはケープを脇において、わたしの隣に座ると揺れる馬車の中で器用にドレスを整え始める。 「素敵なドレスですね」 さっきまでソフィアと並んで座っていたチャーリー先生が物珍しそうにわたしの左肩を見た。 「どうせ注目されるならこういうのの方がいいでしょう?」 「そうですね」と言いながら、チャーリー先生は少し困った顔。 馬車が停まり、窓の外をうかがうと三才離れた双子の弟たちが両親と一緒に屋敷へと向かっていた。クラウス侯爵邸は庭まで人で溢れている。 双子がこっちを振り返り、置いてけぼりのわたしを指さしながら笑っていた。ウィリアムズ姉弟の仲はお世辞にも良いとは言えない。 弟たちの態度が変わったのは彼らが六歳、わたしが九歳のときだ。魔力測定で二人が中級魔術師レベルの魔力値を出し、その瞬間からわたしを見下すようになった。 わたしは六歳から毎年魔力測定をしているけれど計測器は一切反応せず、双子との差を見せつけられた九歳の測定を最後に計るのをやめた。ウィリアムズ家に生まれていなかったなら、魔力がないことで劣等感を抱く必要もなかったのに。 ウィリアムズ家は帝国唯一の魔術家門。それを知るのはグブリア皇家とクラウス侯爵、魔塔だけだ。 通常、グブリア帝国では十二才になると魔力測定が行われ、一定以上の魔力を持つ者は家を離れて魔塔で働くことになる。一般の帝国民が魔術師と関わることはないし、魔術を目にする機会もない。その中でウィリアムズ家だけが例外だった。 「シャーロット様、ご準備ができました」 ソフィアはドレスの仕上がりに満足そうにうなずき、チャーリー先生も「完璧ですね」とソフィアの腕を称える。チャーリー先生はウィリアムズ家の家庭教師であり、魔塔から派遣された監視役だ。 わたしは社交界デビューの十四才を迎えても魔力が錬成できず、『黙秘の誓約』ができないためチャーリー先生が監視役も兼任するようになった。 ウィリアムズ家の人々は秘密を守るために『黙秘の誓約』を行い、それは各々の心臓に刻まれる。『誓約』を行うには一般人レベルのわずかな魔力があれば十分だというのに、わたしはそれすらできない。 ――シャーロット様の魔力は限りなくゼロに近いですが、魔力ゼロの人間は存在しません。諦めずがんばってみましょう。 チャーリー先生は六歳のわたしにそう言った。七歳と八歳のときも似たようなことを言い、九歳のときは何も言わなかった。 「久しぶりの外出ですから楽しんでください」 家族のような顔で穏やかに笑いかけるチャーリー先生。彼が同情的なのは、ウィリアムズ家でのわたしの扱いが目に余るからだろう。 十四才の誕生日、父は「あれをおまえにやろう」と言い、ウィリアムズ家の敷地にある離れをわたしにプレゼントした。それから二年半あまり、わたしとソフィアはその離れで軟禁生活を送っている。顔を出すのはチャーリー先生くらいで、屋敷から出してもらえるのは迎春の宴の日だけ。 「形だけでも出席しなさい」 父はそう言って居心地悪いだけの宴に娘を連れて来ながら、本家のクラウス侯爵家にはわたしを紹介しなかった。去年も一昨年も、わたしは両親と双子がクラウス侯爵家の人々と話しているのを壁際でながめていた。 「チャーリー先生。このまま何もしなければ、わたしは一生離れに閉じ込められて一人寂しく死ぬんでしょうね」 「シャーロット様、急にどうされたんですか?」 ソフィアが心配そうにわたしの顔をのぞき込んだ。 遠戚のソフィアはウィリアムズ家の魔術師の一人。無能(わたし)の侍女を押し付けられているのだからおそらく何かやらかしたのだろう。 「シャーロット様、考え過ぎはよくありません」 チャーリー先生はわたしの頭をなでようとし、それをソフィアに阻まれた。 「チャーリー、せっかく綺麗に整えたのだから台無しにしないでください」 家族じみたやりとりは「うまくいっている」ふりをしているだけだ。本当はとっくの昔に壊れている。 「ねえ、二人はわたしとウィリアムズ男爵家のどちらか選ばなければいけないとしたらどっちを選ぶ?」 唐突な質問に二人とも顔を強張らせた。 「シャーロット様はウィリアム男爵家のご令嬢です。どちらかを選ぶなど……」 「そうね、わたしの聞き方が間違ってた。わたしとウィリアムズ緑士(・・)家ならどちらを選ぶ?」 困惑するチャーリー先生とソフィアに救いの手を差し伸べるように、コンコンと扉がノックされた。若い御者が遠慮がちに窓から顔をのぞかせる。馬車が停まってからずいぶん長く待たせてしまったようだ。 「気の利かない御者ですね。わたしが後で文句を言っておきます」 ソフィアはそう言いつつ、返事を回避できてホっとしているようだった。 わたしがチャーリー先生の手を借りて馬車を降りると、庭園で談笑していた数人の女性が一斉に好奇の眼差しを向けた。 「あら、クラウス侯爵家の寄生虫があそこに」 「さすが金食い虫のウィリアムズ男爵家。ずいぶん豪華なドレスね」 「着飾れば寄生虫が蝶になれると思ってるのかしら?」 「仕方ないわよ。あれ(・・)では着飾るくらいしか楽しみがないもの」 クスクス笑う彼女らの視線はわたしのドレスの左肩部分に向けられている。 若草色のレースと造花で彩られた花束のような左肩のデザインはわたしが仕立て屋に注文をつけたものだ。ウィリアムズ家の娘が左腕を失くしたという噂はとっくの昔に広まっているし、どうせ注目されるのならない(・・)腕よりドレスを見られていると思った方がいい。 主会場である大広間に通されても、わたしの左腕は注目の的だった。両親は他人のような顔をしてわたしとは目も合わさず、分家の人たちと儀礼的な挨拶を交わしている。冷たい家族だと思うけれど、会場で陰口を叩かれているのはわたしだけでなく両親も双子も同じだった。 本家であるクラウス侯爵家に、ウィリアムズ家を含めた十数もの分家が一堂に会す迎春の宴。クラウス侯爵家に媚びは売ってもウィリアムズ男爵家に媚びを売ろうとする者はまったくいなかった。 「クラウス侯爵家の寄生虫」 「金食い虫」 〝クラウス侯爵家の寄生虫〟という分家が我が家に向ける陰口は、ウィリアムズ家が何もせずクラウス家の施しで贅沢をしていると思い込んでいるせいだ。 「何の力もないくせに生意気なんだよな」 「こっそりやっつけてやろうぜ」 双子が不穏なことを囁きながら串刺し肉を手にニヤニヤ笑い合っている。そのときザワと会場がどよめいた。 「あっ、侯爵閣下が来た!」 「氷壁の小侯爵様よ」 分家の中でもウィリアムズ家は唯一の貴族で、他家は姓はあるものの平民ばかりだった。平民だらけの宴に礼儀もマナーもあったものではないけれど、若い男性たちは緊張し、女性たちがソワソワと落ち着かないのは侯爵家と言葉を交わせるから。 滅多に領地に顔を出さないクラウス侯爵。彼は帝都でグブリア皇帝直属の銀月騎士団団長を務めている。男性たちは侯爵の目に留まって帝国騎士になることを夢見、女性たちは「氷壁の小侯爵」と呼ばれるクラウス侯爵家の息子とお近づきになりたくて必死。 人々が手を止めて領主の登場に注目する中、変わらず料理を頬張っているのはウィリアムズ兄弟くらいだった。わたしはそんな弟たちを横目に、グラスを置いて壁際を離れる。 「あっ、おい。どこ行くんだよ、シャーロット」 「男爵家だからって氷壁の小侯爵がおまえを相手にするわけないだろ。立場をわきまえろ、ウィリアムズ家の寄生虫」 ウィリアムズがウィリアムズを「寄生虫」と呼んだことに周りにいた大人たちがギョッとしていた。双子はその反応を見て肩を揺らしている。 「シャーロット」 母の声がしたけれどわたしは無視して人だかりの方へと向かう。 両親も双子も魔術師なのだからわたしを足止めするくらい簡単なはずなのに、壁際で従者のフリをしているチャーリー先生の監視の目があるから何もできないでいる。 「シャーロット」 人だかりが割れて金髪の青年がわたしに微笑みかけた。彼こそ氷壁の小侯爵と呼ばれるザカリー・クラウス。 「笑わない貴公子」とも言われる彼の微笑に、女性たちだけでなく周りの大人も、彼の父親であるクラウス侯爵さえも驚きを隠せないようだった。その様子に胸がすく。 自分に魔力がないと知って十年、軟禁生活は二年半あまり、片腕を失ってから八か月。ウィリアムズ家の呪縛から逃れられるなら、片腕のカーテシーも好奇の目も些細なことだ。 わたしは氷壁の小侯爵に斬られたこの左腕に感謝しないといけない。あれは八か月前、去年の夏の十六才の誕生日のこと――。
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