空気を編む

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「準備万端じゃん」 掠れた笑い声が響く。 それから彼も着ているものを脱いで、自身の両脚を抱えた。 「ほら、早く。今なら慣らさなくても大丈夫だから」 その躊躇のなさに、枚田は驚く。 気高い彼が、こんなポーズを取って自分を誘惑してくるなんて、尋常じゃない。 いつもの州ではなかった。 「州、だめだって」 「なんで? マイもやりたいんでしょ?」 それから、入り口にあてがわれる。 意識が遠のきそうになり、枚田は必死に腕で上体を支えた。気を抜いたら、簡単に飲まれてしまいそうだった。 「大丈夫だって。βとなら妊娠しないから——」 言われて、枚田は彼を突き飛ばした。 スウェットを上げて立ち上がり、咄嗟に背を向けたが——ふたたび振り返って、彼にも布団をかけてやった。 「悪いけど協力はできない」 「……なんで」 「こんな状況でするの、俺は望んでない」 すると、投げられた枕が、耳たぶにぶつかって落ちた。 「強がんなよ。性欲ゴリラのくせに」 「なんとでも言えよ」 「マイ!」 それから部屋を出ると、彼の言いつけ通り、すぐに扉を閉めた。 ——ぐるぐると、屈辱が渦巻く。 彼からずっと、選ばれたかった。 すぐに呼び出せて、安全なβとしてではなく、特別な存在として、特別な瞬間に、名指ししてほしかった。 枚田は州を都合よく扱ったことなどない。むしろ、都合よく付き合うのに、いちばん適さない相手だ。 近づきたくて、時に離れたくて——抑揚のあるなかでも、やはり大切に思っていることに、変わりはなかった。 枚田が彼と築いてきたと思っていたものは、一体なんだったのだろう。 空気を編んでいたようなものだったのだろうか。 体の芯がきりきりと痺れる。 スニーカーのかかとを潰したまま、足を引き摺るようにして歩いた。
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