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柿木とは、クリスマスや年末も、友人達を交えてともに過ごしたものの、特に進展はなかった。
彼女とはふたりで会う機会も多かったが、それはいつも誘われるからであって、枚田から声をかけたことはない。正直、このままの関係のほうが心地よかったのが事実だ。
しかし、いよいよ2月に入るとそうも言っていられなくなった。
「バレンタインの日さぁ」
乗り換えの駅のベンチで、なかなか来ない各駅停車を待ちながら、柿木が発した。
「学校のあと、なにか予定ある?」
枚田はしばらく思い出すふりをして時間を稼いだが、そう引き延ばすこともできず、首を横に振った。
「あけておいてほしいなぁ」
「なんで? チョコくれるの?」
彼女を前にすると、図々しい言葉がするりと出てくる。だがそれは、そこに一切の緊張も、期待も含まれていないからであった。
強いて言えば、いずれ通らねばならない関所のような感覚——彼女の一大決心をそんな風に捉えてしまうのが申し訳なく、厚かましいとも思う。
しかし、それが本音だった。
「うん。あげるかも」
「かもなんだ」
枚田が言うと、彼女は声を出して笑った。
嫌ではない。愛嬌があって可愛いと思う。
なのに、枚田の心は少しも浮き立たなかった。
——近いうちに彼女から告白を受けるだろう。
自分がどういう返事をするかが、想像もつかなかい。
「その日、ちょうど観たい映画があってね……」
彼女は微笑みながら言いかけた。
しかし、話の途中で別の何かに気を取られたのか、その続きがなかなか出てこない。
「どうかした?」
「ううん」
枚田が問いかけると、また目を合わせてくる。
そのまましばらく何気ない会話を続けたが、枚田は柿木のその反応がどうも引っ掛かった。
まるで、美しいものにはっとするような——そんな目をしていたからだ。
観たい映画の話題がひと段落し、彼女がスマートフォンを操作し出したタイミングで、それとなく振り返ってみる。
驚きと同時に、腑に落ちた。
ホームに立ち、電車を待っていたのは、紛れもなく州だった。
イヤフォンもせず、視線を手元の文庫本に落としたまま、こちらには目もくれなかった。
夕陽がホームに食い込んできて、彼の漆黒の髪や頬、ページをめくる指先を染める。
何気ないその場面が、まるで絵画のように美しかった。
それから、枚田の心は久々に温度を取り戻し、押し寄せてきた雑多な感情により、忙しなくなった。
絶対にこちらに気づいている。
気づいていながら、あえて声をかけてこないのだ。
大丈夫、これでいいのだ。
正直、見られたくなかった。
相反する感情のぶつかり合いと、久々に見た州はやはり美しいという、純粋な愛しさ。溢れ出すそれらに、枚田は溺れそうになる。
「ねぇ、電車乗らないの?」
彼女の声が、ずいぶんと遠くから聞こえる。
やがて州はホームから消え、そこには風景画だけが残った。
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