モラトリアム

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焦りながらも、なかなか腰を上げられない。最低なことを言ってしまった自覚が、大いにあるからだ。 フローリングのところどころにエビから剥がれた衣が散らばり、油だらけになっている。よく見ると、キッチン下には野菜くずやほこりも落ちていた。 項垂れたまま、現実逃避のように掃除の必要性について考えていると、やがて州がバスルームから出てきた。 こちらには目もくれず、そのままリビングに移動してしまう。 枚田は、引き戸の向こうで忙しなく動き続ける彼を横に、ただただ口をつぐむばかりだ。 なんて声をかけたらいいのかわからない。 しかし、バックパックを背負った彼がふたたび目の前に立った時、そんな躊躇は吹き飛んでしまった。 「どこ行くの」 「しばらくホテルに泊まる」 枚田は立ち上がり、彼を背後から抱き寄せた。 それから、子どものように彼の肩に顔を擦り付け、懇願する。 「州、ごめんなさい。許してください」 みっともないという自覚はあったが、なりふりかまっていられなかった。 「俺が悪かった。謝らせて、お願い……」 「お前は少し頭冷やせ」 「やだ、待って」 振り解かれるが、力でねじ伏せるのは憚られた。 抵抗の意を見せずにいると、州は一度だけ振り返った。 こちらが思っているよりも、怒ってはいないようだった。 「さっきの本心じゃない。誤解なんだよ。だから出て行かないでください……」 彼の目はもう穏やかだった。だから、枚田の頬をひと撫でしてくれたときは、このままここに留まってくれると期待したのだ。 「州、お願い……」 枚田はその手のひらに体重をかけ、一方的な懇願をなすりつける。 だが、いざキスをしようと顔を近づけると、彼は後ずさってそれを拒絶した。 そして、無言のままその場から立ち去ってしまった。 ——ひとり残された部屋で、枚田はただ思う。 なにが正解だったのだろう、と。 離れること? それならば、はじめから一緒に暮らすべきではなかったのだろうか。 血の滲むような彼の努力を縛りつけ、その一切を封じる気はなかった。 ただ枚田は、彼に求められたかっただけだ。 お前が必要だ、離れたくないと。 一度でいいから、彼からそう言われたかった。
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