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初夏のできごと
曖昧だったものが、水彩絵の具を重ねるようにして徐々に濃くなり出したのは、4年に進級した夏のはじめのことだ。
放課後、枚田は学級で飼育している金魚の水槽の水換えを任されていた。
「まだー?」
州は、自分の席に座りながら、枚田の作業を目で追っていた。
誰もいないのをいいことに、机の上に脚を乗せ、椅子の背もたれに上体を預けている。
「見てるだけなら手伝ってよ」
「俺は生き物係じゃないし。あまり手伝いすぎるのもマイのためにならないから」
もっともらしいことを言ってはいるが、ただ単に、ぬめった水槽を触りたくないだけだろう。
わかっていながらも、重い水槽と生臭い水の匂いに、反論の余地は吸い取られていった。
その日、州は塾が休みで、放課後に新作のゲームソフトで遊ぶ約束をしていた。ふたりとも、ずいぶんと上機嫌だったのを記憶している。
「終わったー」
枚田が手を拭きながら教室に入ると、彼はだらしない体勢のまま、目をつぶっていた。眠っているわけではなさそうだが、枚田が近づいても、顔を上げなかった。
ハーフパンツの裾から露出した腿が、机に張り付いている。
枚田は声をかけるのをやめて、それにしばらく見入った。
それからすっかり冷たくなった手のひらを、その白い肌に押し付けてみる。
「わっ」
州はあわてて上体を起こした。
その上擦った声を聞いた瞬間、枚田の中にあったほんの小さないたずら心は、ほんのりと熱をもってふくらんだ。
今度は腿の裏側に手を滑らせてみる。表よりも温かくしっとりとしていて、なめらかだった。
「水槽かきまわした手で触んなよ!」
すると、州は枚田の脇腹を足で突いて反撃した。笑っているから、怒っているわけではなさそうだ。
枚田はふたたび彼の露出している肌——首や膝にわざと触れて挑発した。
「おい、ふざけんなって!」
小突き合いはじゃれ合いに、さらには追いかけっこにまで発展した。
州が逃げて、枚田がそれを追いかける。
チャイムの鳴り響くなか、ひと気のない廊下を走り回った。
開け放しの窓から、湿気混じりの初夏の風が吹き込み、薄く黄色い光が水道のシンクの凹凸や、床の継ぎ目を照らしていた。
ふたりともいつになく上機嫌で、ころころと笑い、そして平穏だった。
——そのときまでは。
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