生前

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生前

彼とはそれから3月まで変わらずに過ごした。ともに寝起きし、体も重ねた。 しかし、名古屋に行くと告げた日の夜が、事実上の別れだったのかもしれないと、今なら思う。 州のなかではきっと、あの時からすでに固まっていたのだ。 彼の言葉の端々、それから細やかな言動や表情を思い出すたび、枚田はやるせなくなる。 自分があの夜、決定的な言葉を口にしていたら——悲しい決断をさせずにすんだのだろうか。 枚田も枚田で、州の描いた予想図をゆるやかにたどっていたことは否めない。 名古屋の本社に配属になってからは、とにかく目の前の仕事を習得していくのに精一杯だった。 業務は主に、法人向けの複合機の販売などだ。研修から始まり、最初は先輩について回ることが多かったせいか、勤務時間中は余白がまったくなかった。 また、余裕がないのは州も同じだったのだろう。 彼は希望通り、外資系コンサルの大手企業に就職した。一度、まだ就職して間もない頃に近況報告をした際は、枚田と同様に雑務をこなしながら仕事を覚えている段階だと言っていたが、資料の翻訳やら難しいデータの処理までこなしていたらしい。また、打ち合わせに英語や中国語を用いることはしょっちゅうだという。 対し枚田の雑務は、すでにフォーマット化された見積もり書に指示通り入力したり、書類のスキャンや販促資料の印刷発注をしたりといったごく簡単な作業だ。 雑用の内容もここまで違うのかと、改めて思い知らされた。 その後も、何度か彼から仕事内容を聞いたが、今は造船のなんたらをどうこうしているだとか、あまりにも自分とは遠い話で、概要がさっぱり掴めなかった。それ以来、互いに仕事の話はあまりしなくなったのだ。 国内外への研修や出張は頻繁らしく、また、休日のほとんどを勉強にあてているとのことで、忙しく過ごす彼の様子を聞くと、自分のために時間を割いてもらうことに躊躇した。 それでも、休暇や出張で東京に帰る予定のある日は何度か誘ってみたものの、それもまたことごとく予定が合わなかった。 毎週会いに行く——それどころか、一度も会えずに、時間ばかりが過ぎていった。
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