生前

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「トーストにあんこ乗せるんだっけ。うまいの?」 「別に……」 「別にばっかだな」 そのまま、なんともいえない間が流れた。彼が気さくに話せば話すほど、枚田は油の切れた機械のように、ぎこちなくなっていく。 どう返事をしても、なんらかの不満がこぼれ落ちてしまうのは仕方のないことだった。 何せ、彼にはもう長いこと会っていないのだ。 枚田は安物の壁時計の秒針を眺め、主張の強い動作音に呼吸のリズムを合わせた。 「州、来月って忙しい?」 それから、やっと切りかえる。 これこそが本題といえば本題だった。 「来月って前半? 後半?」 「あ、後半」 間があって、その答えを察する。 「海外出張とその準備で、わりとバタバタするかも」 ああ、やっぱりか。 暇ではないとわかっていたが、それでも落胆する。 「どこに行くの?」 「上海」 「へぇ、焼きそばの」 話題が自分の仕事へと切り替わると、心なしか州の声が沈んだ気がした。 いい返しをしたかったが、なにも思い浮かばない。 所詮、上海と自分とを結ぶものはなにもなかった。 「あ——。来月の話だけどね。そっちで合同展示会あって、手伝いで東京帰るかもしれないんだ。まあ、まだ行くかもわかんないんだけどね」 「そう」 彼の返事は素っ気なく、具体的な日程を聞かれることもなかった。 つまり州は——自分に会う気はないのだろう。 その事実が足元にめり込み、侵入を断つ。 州はもう、壁を隔てている。その高さ、分厚さに圧倒され、枚田はただ後退りするほかなかった。 「州」 「ん?」 「ちゃんと休んで——体、大切にね」 会いたいという言葉を飲み込んだまま、枚田は電話を切った。 もうだめなのかな。 不穏な感情が右から左へと通り抜けたが、口にすることなく、どこかへと消えていった。 そもそも始まっていない。 線路は交わっていないのだと、一歩遅れて気づいたからだった。
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