裏切り

3/4

422人が本棚に入れています
本棚に追加
/193ページ
角を曲がると、スマートフォンを取り出して発信した。 しりとりなんかでは埒があかない。電話に出なければ許さない———— 強気で発信したが、画面が呼び出し中から通話中に切り替わった時は、ほのかな感動に包まれた。 「マイ、打ち合わせに集中しろよ。ずっとうわの空じゃん」 瞬間、懐かしい州の声に鼓膜が熱くなったが、その後、ふと冷静になる。 「え?」 「来週は青山、再来週は麻布だろ。土日に都内のあちこち連れ回されて大変だな」 枚田はスマートフォンを耳から離してあたりを見回したが、近くに州らしき人物は見当たらない。 「州、なんでそんなこと知ってるの。それに、もしかして近くにいる?」 「さっきまでラウンジにいたけど、もう部屋に戻った」 「部屋って、ここに泊まってるってこと?」 答えないが、間違いではないだろう。州はそういう人間だ。 ぞわぞわと肌をくすぐる感触。 興奮で毛穴のひとつひとつが開いていくような——— 「州、一度会って話をしよう」 「今ならいいよ」 「1時間後じゃだめ?」 「無理だな。この後出かける予定があるから」 そんなの嘘に決まっている。 ため息をつきながらも、懐かしさを抱いていることに気づいた。 困っているのに、なぜだか嬉しい。州とのやりとりが紡がれることに震えてさえいる。 「じゃあ今から話せたとしても、たった1時間しかもらえないってこと?」 「話すだけならじゅうぶんじゃないの。それともほかに何か期待してるわけ?」 「違うよ。そういうことじゃなくて!」 スピーカーに彼の息がかかる。 その柔らかい笑いに、過去の様々な苦味がさらさらと流されていく。 うっかり浮上しそうになり、枚田はラウンジにいる映水の姿を確認して、どうにか踏ん張った。 「とにかく今は無理だよ。夜でも、明日でもいいから……」 「ならもう時間は割けない。どうぞお幸せに」 「州!」 名を呼ぶと同時に切られてしまう。 それから間もなくしてメッセージが送られてきた。 部屋の番号とともに「30分は待つけど、それ以降は外出して戻らないから来ても無駄です」という一言が添えられている。 枚田はとりあえずスマートフォンをしまって、長いため息を吐いた。 州はやはり、どこまでいっても州なのだ。 いつだって自分に勝算があると思って、枚田を試してくる。 しかし、前と違うのは、枚田には付き合っている相手がいて、簡単に振り切れる程度の仲ではないということだ。 枚田はふたたび映水の方を見た。 彼女を傷つけるのは本望ではない。いつか裏切るつもりで付き合ってきたわけでもなかった。
/193ページ

最初のコメントを投稿しよう!

422人が本棚に入れています
本棚に追加