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逃避行
幼なじみの初めての失踪は、それから数ヶ月後に訪れた。
向かいの家から梅の香りが漂い始めた、4年も終わりに差し掛かった日のことだ。
「州、どうしたの」
「お腹が痛い」
州はその朝も、例に漏れず腹痛を訴えた。
「ちょっと休もうか」
枚田は提案し、壁際に寄った。余裕をもって家を出ているから、数分休んだところで遅刻はしないだろう。
州は脇腹に手を当てながら、ランドセルごと壁に寄りかかった。
「ランドセル持とうか?」
枚田は思わず提案した。彼のランドセルは上等な本革でできていて、枚田の合皮のそれよりもだいぶ重みがあったからだ。
だが、州はそれに乗らなかった。首を左右に振り、つま先で砂を蹴散らす。
「いい、大丈夫」
出がけの不調は、ここ最近では恒例だ。大抵、歩き始めて数分で彼が立ち止まり、小休止。彼が「もう大丈夫」というまで立ち止まることになる。
授業中や放課後は至っていつも通りだし、決まって朝だけだ。どうやらその症状は心因性のものであるらしい。
枚田は彼の隣に並びながら、車が数台、通過するのを見送った。
州を横目で見てみるが、彼は一向に顔を上げない。腹に当てていた手をいつのまにか垂らし、前屈みの姿勢をとっている。
赤い車がスピードを上げて過ぎ去るのを見送ると、枚田はいよいよ不安になってきた。
そろそろ歩き出さねば遅刻してしまうというのに、今日はなかなか、彼から「もう大丈夫」のひと言が出てこない。
それどころか、とうとうしゃがみ込んでしまった。
「学校、行きたくない」
枚田は瞬きを繰り返して、州の髪の分け目の白いラインを視線でなぞった。彼がそんな弱音めいたものを吐くのは初めてのことだった。
「大丈夫? 家に帰る?」
「いい。帰ってもどうせ休ませてもらえないから」
腹痛がひどいわけではないのだろう。州は諦めを匂わせながらも、なかなか立ち上がることはない。
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