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「マイ」
「なに?」
「このまま家出しちゃおうか」
枚田はキャップのつばを掴んで、わけもなく被り直した。
彼からの提案はいつものように決して高圧的ではなく、どちらかと脆かった。
その危うさを辿った先には、夏の保健室でのあの一件が結びついている予感がして、枚田はどきまぎしたのだった。
「家出したら明日のなわとび大会に出られないよ」
枚田は何と返そうか散々考えた挙句、あえて本質からそらそうとした。
冬季には、体育の時間や朝のレクリエーションになわとびが積極的に取り入れられる。
その集大成が、明日開かれるなわとび大会だった。
「州が教えてくれたはやぶさ、ちゃんと発表しないと」
なわとびは団体で取り組む大縄ではなく、短縄だ。
難易度に応じてそれぞれの級に振り分けられ、個人が各課題に取り組む。見事合格した者には表彰状とシールが贈与されるのだ。
「なわとび大会と俺と、どっち取るんだよ。俺がいなけりゃ、宿題もテストもなわとびも教えてあげられないよ」
州のひと言に、口をつぐんだ。
枚田はこのなわとびが苦手で、昨年の大会では二重跳びすらまともにできなかった。しかし、州の猛特訓のもと、ついにははやぶさができるまでになった。
明日はその特訓の成果を出す時なのだ。
枚田はいつになく張り切っていて、できれば今も一刻も早く学校に向かい、朝の時間をなわとびの練習にあてたかったぐらいだ。
しかし、そういうわけにはいかない。
「俺は、州と同じ色のシールもらうって、約束したから……」
もともとは、なわとびを教わる際、州から口にしたことだ。
特訓するからには、必ず俺と同じ色のシールをもらうこと、と————
彼はすでに昨年の大会ではやぶさの課題をクリアしていたのだ。
州はぼうっとこちらを見上げた。立ち尽くした枚田を数秒捉えて笑う。
「冗談だよ。マイは明日の大会に命懸けてるもんな」
「うん。だから家出はなわとび大会が終わってからにしてよ」
州は手袋に包まれた自分の指先同士を擦り合わせた。
彼の白い息が、毛糸の編み目を縫っていく。
「ついてきてくれんの?」
「あんまり遠くじゃなければ……」
州はふたたび笑って、それから立ち上がった。
先に進み始めるが、その歩行はやはり不安定だ。
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