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「俺も大学出たら、すぐ結婚するんだ」
苦々しい記憶に、環の軽やかな声が重なり、こめかみが引き攣りそうになるのをなんとか食い止める。
両手で頬杖をつく環とその手前に置かれている、まだ濁りのないクリームソーダ、彼が腰掛けているボルドー色をしたレザーのソファー。視界に入るそれらは、まるでポートレートのようだった。
「寄田君と?」
「もちろん。やっとだよー」
環には、高校生の時からずっと付き合っている3つ年上の相手がいて、名を寄田一沙という。
初めて紹介された時は驚いた。大柄で目つきが悪く、筋肉隆々。激流の中に身を投じて、鮭を獲っていそうな荒々しさに、ただただ圧倒されたものだった。
しかし、その見た目に反して喋り方は落ち着いていて、礼儀正しく、穏やかな性格をしていた。
「本当は今すぐ番になりたいんだけど、けじめをつけろって父親がうるさくて、同棲も許してくれないしさー。でも、州ちゃんとマイは大学のとき同棲してたじゃん。なんで州ちゃんはよくて、俺はだめなんだろー」
「いや、あれは同棲というか……まあ色々な事情があったから。ルームシェアに近かったし」
「でもやりまくってたじゃん。ただのシェアメイトとはエッチしないでしょ、普通」
鈴を転がすような声で発せられた大胆な言葉に、こちらが慌ててしまう。
「とにかく、そんなに焦らなくてもいいんじゃないの」
「俺は急ぎたいの。誰にも一沙に触れてほしくないし——誰かみたいに、就職してすれ違ったら嫌だからね」
それから、意味ありげに笑う。
つまり、兄達と同じ轍は踏むまいということだろう。
「環って独占欲強いよね」
「州ちゃんには負けるよ」
表情を引き攣らせたままでいると、環は声を上げて笑った。
まったく手をつけていないアイスコーヒーは、すっかり薄まって、表面に透明な層を作っている。
コースターはふんだんに水を吸ってふやけきっていた。
「とにかく、もうすぐ両家の顔合わせもあるし? 州ちゃんがいないと色々と都合が悪いんだって」
枚田はグラスを持ちながら俯き、丸くて小さな黒い水面を見つめた。
水滴のせいで指が滑る。
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