きみのすべてに

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きみのすべてに

枚田は、黒いクッションフロアに腰を下ろすと、仕切られた化粧板の、嘘くさい木目を見つめていた。 ひとまず、我が身を包むのは安堵であった。 抱擁の後、州はいくらか落ち着きを取り戻し、双方の自宅に連絡を入れることを許可してくれた。 州が無事に見つかったこと、だが今日は帰りたくないと言っていることを、環にも伝えた。彼は、家のことは任せておけという頼もしい返信をくれた。 自分の母親からの、塾をサボったことに対する叱責もなかった。おそらく、環が根回しをしてくれたのだろう。 明日の朝、必ず戻ることを条件に外泊許可を得て、このネットカフェへと入ったのだった。 背後からスライドドアを開く音がして、枚田は胡座を崩して足を伸ばした。 「マイもカルピスでよかった?」 トレーにグラスをふたつ乗せて、州が入ってくる。 「うん。ありがとう」 トレーを受け取りテーブルに乗せると、州は隣に腰を下ろしてきた。 彼がコートを脱ぎ、マフラーを外した瞬間、例の金木犀のような香りが立つ。 「この部屋狭い」 「一応、ペアシートなんだけどね」 「ペアっていっても人間用だろ。ゴリラは規格外じゃん」 「えー、ゴリラって俺のこと?」 枚田が言うと、彼はようやく、ゆるい笑みを見せてくれた。 その横顔はまるで、艶々と繁っている木の実だ。青さと熟した部分が美しいグラデーションを織り成していて、持ち前の美しさと、一過性の美しさとが折り重なっているようだった。 「だからワイドシートにしようって言ったのに」 州は、薄い壁に頭をつけながら、まだ未練を吐き出している。 薄い壁で仕切られたこの半個室には、2人程度が入れると書いてあったが、男ふたりだと腕がぶつかってしまう。 州が希望していた、3人入れるというワイドシートならば、窮屈な思いをせずに済んだのかもしれない。 「ワイドシートは高いじゃん」 「俺が出すから別にいいのに」 「そういうわけにはいかないよ」 提案を遮ると、州は眉間に皺を寄せて、不服そうな表情を浮かべた。 ピリつかれると居心地は悪いが、それでも安心のほうが勝る。 彼の皮膚に皺が入ること。その表情が動き、なんらかの感情を示してくれることが嬉しかった。
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